部落解放同盟東京都連合会
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《狭山事件情報020904》

      

 発信日02年9月4日、通算第27号

         

 部落解放第47回関東女性集会が8月23日〜24日、群馬県水上町で開かれました。この集会で狭山事件の分科会に参加した部落解放同盟東京都連合会女性部メンバーの感想を投稿していただいたので、長文ですが紹介します。

関東女性集会に参加して

 8月23日〜24日、群馬県水上において、部落解放第47回関東女性集会が開かれました。1日目は全体集会、2日目は7分科会に分かれて、日頃の地域での活動の交流を行ないました。
 当初の予定では、石川さん夫妻は、奈良県で同時期に開催されていた全国青年集会に参加し、青年たち自身が企画した分科会に参加ということで、関東女性集会に参加することはできないということでした。しかし2日目の朝、会場となっていたホテルのロビーに、早智子さんの姿がありました。一雄さんは、大阪府和泉市での集会に参加ということで、夫婦別行動になり、早智子さんは家に帰ってきたということでした。そして狭山に帰るための乗換駅である「高田馬場駅」に着いた時、『やっぱり、関東女性集会に行きたい!』と思い、お姉さんの梅子さんと一緒に、朝早く狭山を出発して、自動車を走らせてやってきたということでした。
 狭山の分科会の様子については、早智子さんのホームページに掲載されています。

《石川早智子さんのページ》
 http://www.f2.dion.ne.jp/~sayama1/

 関東女性集会に来れなくて、石川さんも残念だったのではないかなあと思います。なぜなら、女性集会には石川さんのお母さんがたくさんいると思うからです。
 石川さんのご両親がまだ存命の時、狭山の現地調査に行くと、石川さんのお父さんは『かもい』や家の中を案内してくれ、帰るときには必ずみんなの前で、本当に小さな体で、「一雄はやってねぇっす。」と言い、その横で、お母さんのりいさんが同じように、言われていました。石川さんは、関東女性集会や全国女性集会に、仮釈放といえども刑務所から出てきて、女性集会の壇上に立った時、たくさんのおかあさんの姿を見たのではないでしょうか、そしておおいに力づけられたのではないかと思います。そして分科会では、各地域での取り組みを聞き、自らもがんばろうと、敗訴に次ぐ敗訴で萎えそうになった気持ちを奮い立たせていたのではないかと思います。
 狭山事件は、石川さん1人の闘いではなくて、二度と部落の子どもたちを犯人にでっち上げさせないための、部落民である私自身の闘いであり、関東女性集会では、石川さんの無実が晴れるまで、『狭山の分科会』の継続をと訴えました。
 なぜ狭山の分科会の継続を訴えたのかというと、来年に開催される全国女性集会の分科会から、狭山闘争単独の分科会が無くなったからです。
 今年の全国女性集会の狭山の分科会では、各地での狭山の取り組みはもちろん、目の前で、石川さんの無実を実感させてくれた斉藤指紋鑑定人の指紋検出実験が行われたり、まだまだ各地でみんながんばっていることを確信させてくれた、本当に有意義な分科会でした。狭山闘争は自分自身の問題として取り組まれていると実感できたのです。そして私自身も部落の子どもを二度と犯人にでっち上げさせないと、狭山闘争に取り組んできました。部落の親なら、部落の女性なら、いいえ狭山闘争に取り組んできた人なら、誰しもそう思ってきたはずです。だから全国女性集会でも狭山の分科会が単独で持たれてきたと思うのです。
 部落解放同盟東京都連合会女性部は、分科会をこれまでどおり狭山単独の分科会を持ってもらえるよう提案しました。
 今社会では、虐待や殺人で、いろんな親が連日マスコミを賑わせています。でも私は、親を信じて胸に飛び込んでくる子どもを裏切らない親でありたいと思います。                            

部落解放同盟東京都連合会女性部員

関東女性集会で紹介された石川さんのアピールです

《アピール》

 極暑の下に結集された関女の皆々様に心から敬意を払うものであります。
 生憎、今日は全青と重なり、常日頃何かとお骨折りを頂いているのに、直接お礼が申し上げられないのが残念に思いますが、今年は法切れと共に諸問題が山積する中、狭山斗争の有り方も問われているようですけど、でも私達夫婦の絆は固く、たとえ2人になろうとも冤罪が晴れる迄は闘い抜く決意の程は、強くなっても弱まることはございません。
 思えば、関女の皆様も47回目を迎えた大半は、私石川一雄の支援運動に注込まれる過程に於て、狭山差別糾弾斗争は国家権力に因る「…極悪の部落差別だ!!」として権力の差別に対決し、「石川の命はわが命」として、斗い抜いて来てくださいました。従って今後も、狭山斗争は、部落解放運動の生命線として、差別糾弾斗争の凝縮した攻防を厳しくとらえ、変ることなく、御協力を賜るものと固く信じて疑いませんが、狭山裁判斗争は40年近い、長い斗いだけに、紆余曲折、山、谷があって当り前で、過渡期にあるのも否定し得ない事実乍らも、然し私達の斗いは大衆的な運動を根差す訴え活動を展開して参ることに聊かも揺ぎません。元より全国の兄弟姉妹達も労働者、宗教者達に、大衆運動に対し、「狭山を斗うか否か、部落解放を共に斗うか否か」を説く問い、呼びかけて、共同斗争を築き上げて頂いたこともわすれてはなりませんが、現在の私は自分の無実を晴らすための斗いが精一杯であり、正直いってその後の事は、一切眼中にありません。何れにせよ、同和対策事業の打ち切りで、全国の部落民は、怒りと不安が渦巻いているようですが、関女の皆様におかれましては、更なる大衆的討議で、日々の実践をつまれ、私のためにも可能な限りお力添え下さいますよう心からお願い申し上げます。
 時節柄、健康には充分注意され、そして皆々様のますますのご活躍を念じつつ、私のご挨拶に代えたいと思います。有難うございました。
 集会(全高)のホテルのロビーに飾れし花も 不況の波に造花の感触

2002年8月24日 石川一雄

部落解放第47回関東女性集会参加ご一同様

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