部落解放同盟東京都連合会

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第一、原決定が最高裁判所判例である白鳥決定と財田川決定ならびにこれまで積み重ねられてきた再審各判例に違反していることについて。

     

【本項目次】

原決定は、「総合評価」ならびに「疑わしきは被告人の利益に」の原則の適用を放棄している

原決定は、確定判決における証拠構造の分析を全くやっていない

原決定は白鳥決定が示した総合評価を拒否している

原審裁判官らは再審の理念である無辜の救済に背をむけた

原審が事実取調べをしなかったのは、審理を尽くすべき義務に違反している

(※この目次は、当Site担当者が便宜上つけたものです)

    

、白鳥決定は、明白性の程度と判断の方法について、「『無罪を言い渡すべき明らかな証拠』とは、確定判決における事実認定につき合理的疑いをいだかせ、右の明らかな証拠であるかどうかは、もし当の証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとするならば、はたして確定判決においてなされたような事実認定に到達したであろうかどうかという観点から当の証拠と他の全証拠とを総合的に評価して判断すべきであり、この判断に際しても、再審開始のためには確定判決における事実認定につき合理的な疑いを生ぜしめれば足りるという意味において『疑わしきは被告人の利益に』という刑事裁判における鉄則が適用されるものと解するべきである」とした。
 原決定は、右判例にいう「総合評価」ならびに「疑わしきは被告人の利益に」の原則の適用を放棄しているところの、きわめて違法・不当の決定と断ぜざるをえないのである。
 とくに、「総合評価」の放棄は必然的に、自白をふくむ旧証拠の再評価を放棄することに帰し、ひいては確定判決の証拠構造と切り離した上で各新証拠をそれが対応する旧有罪証拠と個別的に対比検討して明白性を否定しているのである。これを換言するに、個々の新証拠のみで有罪認定を覆すことを要求する孤立評価説に堕落していること明白である。その違法性、不当性にてらして、それが再審の門の閉塞をねらってあえて打ち出されたものとしかとらえようがないほどで、きわめて遺憾の極みといわざるをえないのである。

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、また原決定がこれまでの再審判例のなかで確立してきた各法理に敵対していることは、確定判決における証拠構造の分析を全くやっていないことに徴してあきらかである。
 再審受理裁判所がまず、確定判決の証拠構造の分析から再審理由の検討に入ることはすでに定着、確定した審理の方法といえる。
 たとえば、
 昭和五四年一二月六日仙台地方裁判所における松山事件再審開始決定書をみると、「第二、確定判決の証拠構造」という項を起こし(判例時報九四九号)、有罪認定の有機的関連を検討している。このような審理方法は昭和五五年一二月一二日徳島地方裁判所、徳島ラジオ商殺し事件第六次再審開始決定(判例時報九九〇号二〇頁)において、昭和五七年一二月二〇日釧路地方裁判所網走支部の梅田事件再審開始決定(判例時報一〇六五号三四頁以下)において、昭和六一年五月二九日静岡地方裁判所の島田事件再審開始決定(判例時報一一九三号)において、平成四年三月二二日福島地方裁判所いわき支部の日産サニー事件再審開始決定(判例時報一四二三号)において、あるいは棄却決定の場合においてさえ、たとえば平成六年八月九日静岡地方裁判所袴田事件の決定(判例タイムズ八五六号)においても、右各再審先例は、再審請求の理由の審理にあたつては、まず確定判決の証拠構造を分析し、そこでの有罪認定の強度と質を再評価し、そののちに新証拠による総合評価をなしている。
 原決定は、確定判決の証拠構造の分析を全くなさず、したがって総合評価をオミットする。すなわち、各論点の判示の結びに、おまじない的に、「総合評価するに」とか、あるいは「関係証拠と併せ考えても」とか、「第二三結び」においては、「新規明白な証拠として採用する証拠資料を、その対比する事項毎に確定判決の関係証拠と総合して考察し、」などという文言を、一行挿入することで能事終われりとしている。
 いうまでもなく上記各先例が再審理由の審理にあたって、まず確定判決の証拠構造を分析した理由は、有罪認定の質を再評価するためであるが、加えて、再審請求審の弾劾の対象(審判の対象)を確定するためである。
 財田川決定が「申立人の自白の内容には数々の疑点があり、ことに犯行現場に残された血痕足跡が自白の内容と合致しないこと、その他の疑点を併せて、(中略)考えるときは、審理を尽くすならば、再審請求の事由の存在を認めることになり、確定判決の事実認定を動揺させる蓋然性もありえた……」との右判示を導き出した契機は、その前提に確定判決の証拠構造の分析がなされていたからこそである。すなわち「本件有罪判決の証拠としては第四回検面調書に録取されている自白と証拠物として国防色ズボンの存在が重い比重をしめている。そして申立人の手記五通は、右の自白の任意性、信用性を担保する意味合いをもつものである。ところが右自白の内容には数々の疑点があることは、さきに指摘したとおりである。ことに(中略)犯行現場に残された血痕足跡が自白の内容と合致しないこと、その他の前記指摘の観点を併せて考えるときは、被害者の血液型と同じ血液型の血痕の付着した右国防色ズボンを重視するとしても、確定判決が挙示する証拠だけでは、……早計に失する」旨、まさしく証拠構造を分析し、ついで旧証拠の再評価をなしたものであった。前記各先例の証拠構造分析論は、右財田川決定に従ったものであることは明白である。
 すなわち財田川決定は、明白性判断を、証拠構造の分析を通じて旧証拠を再評価し、この審査により確定判決における有罪認定の破綻すなわち合理的疑いの存在を把握したわけである。
 原決定は証拠構造の分析を欠落させたことにより、特筆すべき欠陥を露呈させた。すなわち自白を統一的に把握しようとせず、個々の論点に分解解体し、自白全体の信用性判断を全く考慮せず、証拠の孤立評価説に堕しているということである。

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、原決定は刑事訴訟法四四七条二項の解釈を誤り白鳥決定が示した総合評価を拒否している。
 たとえば雑誌『りぼん』が本件当時請求人方に存在していなかったことを示す新証拠である石川美智子らの司法警察員に対する供述調書の存在について原決定は、刑事訴訟法四四七条二項にてらして新規性がないとし、あるいは第一次再審の判断に覇束されると判示して右石川員面調書と他の新証拠との総合評価を拒否した。
 また原決定は、脅迫状の訂正前の金員持参指定日付に関する各新証拠についての判断の中で、「新聞記事の写しが加わっただけで、第一次再審請求で新証拠として提出され、その請求棄却決定の理由中で判断を経た証拠と実質的に同じと認められる」から、「所論は実質上同一の証拠に基づく同一主張の繰り返しというほかなく、刑事訴訟法四四七条二項に照らし不適法である。」と判示する。
 ところで右各判示は、再審各先例が積み上げてきた取り扱いに敵対し、これを蹂躪するものである。
 たしかに再審申立てが数次にわたる時において、同一の理由と同一の新証拠にかぎられている時は、前の棄却決定の内容、確定力が拘束力を持つとはいい得ても、一部において従前の請求と重複するようにみえても、今回の再審請求が別個の理由と新たな証拠方法、証拠資料をもってする請求(たとえば、一つの例にすぎないが、本件における指紋鑑定書などの発見提出)であるときは、従前とは別異の理由にもとづく再審請求といえ、刑事訴訟法四四七条二項の禁止にはあたらないというべきである(徳島ラジオ商殺し事件第六次再審開始決定。判例時報九九〇号五四頁参照)。
 原決定の判示は、あるいは、松山事件再審開始決定(判例時報九四九号二四頁)にいう「霸束力」に従つたのであろうか。しかし同決定も「特段の事情のないかぎり」というのであって、本件での有罪の主軸とされる脅迫状と請求人との結びつきについては数々の合理的な疑点が客観的証拠によってあきらかにされている時に(この点は従前何回となく指摘してきたが)、前記石川員面調書など五通があきらかにした、新たな証拠資料を自白の信用性吟味に際して総合評価から外すなどとは、一の暴挙とさえいえる。
 原決定は「自分は『りぼん』をみながら自宅で脅迫状を作成した。」旨の自白の信用性を、指紋鑑定、日付訂正の問題、さらには、殺害方法における新証拠とこれに関連の「タオルで絞殺した」などの自白の変遷の問題などと統一的に把握し、自白の信用性を吟味しようとする姿勢を頭から放棄している。
 弁護人・請求人が自白の信用性を全面的に弾劾していることは、弁護人らの各補充書において、とくに平成二年一二月二〇日付、平成一〇年六月一九日付の、あるいは指紋についての二通の補充書において明白である。すなわち指紋の未発見の事実、殺害方法についての自白の不合理的な変遷、日付訂正と日付の原記載の問題における自白誘導の疑いの発見、脅迫状訂正筆記用具と自白との食い違い、万年筆奪取時期の自白の矛盾と不合理性、雑誌『りぼん』の未発見の問題、本件当時『りぼん』が請求人方に存在しなかった事実、脅迫状用紙綴目数についての食い違い、あるいは自供された事実が、のちに発見の客観的証拠によりくつがえされている事実(木綿細引紐の問題)などを指摘し、自白の内容が不自然、不合理であり、本件自白は体験にもとづかない虚偽のものと主張してきたのである。
 松山事件再審開始決定は自白の信用性の吟味について、「請求理由の実質が請求人の自白の真実性を弾劾するものである」ときには、「自白の内容をなす個々の供述は特段の事情がない限り相互に有機的に関連を存するものとして統一的に把握されるべきものであることに鑑み、自白の内容をなす個々の供述部分の逐一について新証拠がなければその供述部分の真否ないし合理、不合理の検討をなしえないものではないと解する。」(前掲二四頁)と判示している。
 右判示は当然の事理をのべたものにすぎないが、本件においては、自供で重い比重をしめる、「手袋を使用していない」という自供にもかかわらず、脅迫状の作成者という請求人の指紋が一つとして発見されていない事実、手本にしたという『りぼん』の請求人自宅からの未発見の事実、鑑定であきらかとなった脅迫状訂正筆記用具と自白との食い違い、殺害方法にみられる自白の変遷とこれに関する自白と客観的事実との食い違いは、本件の場合、逐一新証拠による裏付けを得ている。
 しかるに本件決定はいわゆる総合評価からの自白の信用性の吟味を全くオミットした。あるいは信用性吟味に触れた場合も、たとえば殺害方法に関する自白の不自然な変遷について、「捜査官の取調べに対して強姦と殺害の犯行の一部始終をありのまま供述したとは考え難く、供述時に、多少とも記憶が混乱、あるいは一部亡失し、またあるいは意識的に供述を端折るなどしたにちがいない」とし、よって、「いずれかが客観的事実に合致し、他は誤りであるという二者択一の関係にあると考えることは必ずしも当を得ない」旨、結論として、「自分の経験していない虚構の事実を自白したとはいえない。」と判示している。
 右判示の誤りは、証拠構造の分析をせず、すなわち審判の対象を確定しなかったことに起因しているものであるところ(扼殺が確定判決の認定である。)、総合評価に名をかり、再審請求人にかえって不利な認定をひき出した場合であって、その違法性、不当性は厳しく弾劾されねばならない。

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、原審裁判官らが以上のごとき違法、不当の審理に終始しえたのも、再審の理念である無辜の救済に背をむけたことにあった。すなわち原審裁判官らは不遜にも白鳥決定以前の再審閉塞の状況のもとでこそ許される審理方法にもどって、確定判決絶対護持に終始したわけである。
 再審の理念が、無辜の救済にあることは白鳥決定が「疑わしきは被告人の利益に」の原則が再審請求の場合にも適用されることを宣明したことに発し、弘前事件再審開始決定は「当裁判所は『無辜の救済』という基本理念を前提として最高裁判所の白鳥決定に示されたところの見解に賛成する」と判示し(高等裁判所刑事集二九巻三号三二三頁)、あるいは松山事件の再審請求の仙台高等裁判所抗告審決定が「再審が個々の裁判の事実認定の誤りを是正し、有罪の言渡しを受けた者を救済することを目的とするところから、再審請求人の意見を充分酌んだ上で再審請求の理由の有無を判断することが望ましい。」と判示したのも、再審の理念が無辜の救済にあることをあきらかにしたものである。

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、弁護人・請求人らは、右無辜の救済の理念のもと、刑事訴訟法第一条にいう「事案の真相の解明」により、再審請求審において審理を尽くすべきであるとの法理にたって、有罪証拠の主軸とされる脅迫状やその他の新証拠につき、鑑定人を証人として公判廷で取り調べるよう証人尋問請求してきた。右証人尋問請求は本件記録にあきらかなように、提出の新証拠については漏れなく及んでいる。しかるに、原審は、公判廷における事実取調べをせず単なる書面審理のみで、本件請求を棄却した。
 再審における狭義の事実取調べが、「裁判所の合理的な裁量」にゆだねられているとはいえ、一応証明力のある新証拠が提出され、これによって確定判決の証拠構造が動揺している場合、受理裁判所としては、弁護人の請求にかかる各鑑定人を公判廷において証人尋問すべきであり、そうすれば、一層確定判決に存する合理的疑いが鮮明となり再審開始決定に至りうるのである。原審が狭義の事実取調べをしなかったのは、再審の理念にもとるというだけでなく、審理を尽くすべき義務に違反しているというべきであって、その裁量を著しく誤った場合にあたり、その審理不尽の違法もまた明白である。

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