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一、原決定は殺害の態様に関する五十嵐鑑定人の鑑定について
死体発見時の様子を聞知していた同鑑定人としては、絞頸の可能性をも十分念頭に置いたうえで、頸部の創傷や変色部分について生活反応を調べ、生前の索状痕跡、表皮剥奪等の微細な変化がないか慎重に見分し、検討したであろうことは、容易に察することができる
と推測したうえで弁護人提出の上田第二鑑定書、木村意見書、青木意見書、上山第一鑑定書及び同第二鑑定書について
いずれも五十嵐鑑定書の所見の記述及び添付の写真(略)を主要資料にしているところ、五十嵐鑑定人が具に観察した皮下、皮内の出血の範囲、色調及び周辺部の輪郭、表皮変色部の色調変化、その周辺部の輪郭、褪色部の色調、剥脱変化の模様等々の微妙な点についてまで、五十嵐鑑定書の記述あるいは添付写真の印影として、すべて的確に表現されているとは言い切れないことは自明であり、したがって、これらを基になされた請求人提出の鑑定書、意見書の判断は、その基礎資料において既に間接的・二次的であるという大きな制約を免れないといわなければならない。
と述べ右の点を前提として、殺害の態様に関する弁護人らの主張を却けた。
しかしながら、これは上山鑑定等によって既に誤りであることが明らかにされた従前の裁判所の諸決定をそのまま繰り返しただけであり、原決定は従前の諸決定の理由欠落=不備の違法を引き継ぐものである。
五十嵐鑑定の頸部外表所見の内容と添付写真のそれとを比較検討した結果、前者の内容は後者のそれに比して、「かなり劣ったものである」と指摘する上山鑑定は、写真による再鑑定の証拠価値を解剖鑑定人による鑑定のそれよりも一概に低くみなす見解について以下のような批判を加えていることが想起されなければならない。実際に剖検を行った鑑定をただそのことだけで上位に据え、添付写真を基礎にして行った鑑定をそのことだけで下位に据える裁判所の考え方は、果たして妥当な考え方と言えるだろうか。それぞれの内容に深くメスを加えた検討こそ望まれるのである。
原決定は、写真による再鑑定の証拠価値を一概に低くみたため五十嵐鑑定書の頸部外表所見について、なされるべき批判を欠落させ、ひいては重大な事実認定の誤りを犯している。
したがって、弁護人らは本異議申立の理由として、本件再審において主張した、再審請求書、同補充書、鑑定書、意見書等において論述した殺害の態様に関する主張をまずそのままここに援用する。
二、索条物による絞頸の痕跡の存在について
原決定は、本屍の前頸部を横走する帯状の索条痕跡の存在について、これを索条による絞頸の痕跡であるとする弁護人ら提出の鑑定書、意見書を却け、「五十嵐鑑定書の所見に照らして、これを索条による絞頸痕であるとすることには、納得し難い」としている。その理由としては、後頭部には索条の痕跡が何ら認められないということを強調している。
しかしながら、原決定も認めるように後頸部の皮膚には圧痕が生じにくいことのほか、重要なことには本屍の後頸部にはそれでも索条物による圧痕が認められる。すなわち、まず上山第二鑑定は左後頸部に縞模様が存在することについてつぎのとおり指摘している。なお、前頸部から左右側頸部にかけての蒼白帯Xに連続する左後頸部にも、不明瞭ながら、上下に走る数条の縦縞模様が存在することも、これらが軟性索条によって形成されたことを強く示唆している。
さらに上山第二鑑定は、後頸部の写真を観察した結果をつぎのとおり述べている。
後頸部の写真をルーペで観察すると、上・中・下の3部分から成っている、すなわち下の部分は色調の最も濃い部分であり、それより上部と区別できる。左右に伸びる中間部分は、それより上部と比べると、色調の差こそ認められないが、この帯状部分は、まだら・粗造にみえ、ここには何らかの力が作用した痕跡(被圧迫部)であることを示唆している(とくに左後頸部)
以上のとおり本屍後頸部においても幅広い軟性索条物による圧迫があったことが認められるのであり、原決定は誤った前提に立って判断しているものと言わなければならない。
さらに原決定は「褪色帯」は、頸部に緩やかに纏絡されていた一条の細引紐などによって不定形の帯状に死斑の出現を妨げられて形成されたとしている。上山第二鑑定も同鑑定人の摘出した前頸部の蒼白帯Xには死斑の出現が認められないことに着目し、その理由として「蒼白帯Xが生前の絞痕であり、死亡直近のかなりの期間、仰臥位に放置されていたこと」をあげている。原決定のいう「褪色帯」の形成は、死斑の出現が妨げられた死後現象と解されている。これに反し、上山鑑定は、蒼白帯?を生前の絞痕としている。右の争点は、つぎに述べる前頸部の赤色線条痕の成因をめぐる見解の対立にそのまま連なるものである。三、前頸部において斜走する赤色線条痕の成因について
原決定は、右赤色線条痕の成因について五十嵐鑑定に従い、これを死斑とし、生前の絞痕であることを否定している。その理由の一は右線条痕の色調が赤色であることのみをもって生前に生成されたとは言えないということである。
しかしながら、前頸部における他の損傷の色調についての五十嵐鑑定の記述は以下のとおりである。
左前頸部C1の色調は「暗赤紫色」、中頸部C2の色調は「暗紫色」、前頸部C3の色調は「暗紫色」、前頸部C4の色調は「暗赤紫色」とそれぞれ識別されており、原決定のいうように赤色に「実際上相当の幅がある」としても、生前生成の可能性は否定し難い所である(C1ないしC4はいずれも生前の損傷である)。
さらに原決定は右線条痕は木綿細引紐による死斑であるとする五十嵐鑑定書の見方に賛意を示している。
しかしながら、五十嵐鑑定書添付の第五号写真が前頸部の皮膚面を体軸方向に伸展した状態を撮影したものであっても、少なくとも縞模様相互の間隔自体は影響を受けないのであるから、線条痕相互の間隔と木綿細引紐の山(谷)と山(谷)との間隔とが一致していないことは、右線条痕が木綿細引紐によって形成されたものではないことの証左である。
何よりも決定的なのは「木綿細引紐の外側に位置する皮膚部にその外郭を示すような死斑が出現してしかるべきなのにごく一部分にせよ全く認められない」(上山第二鑑定)ことである。もしも右線条痕が木綿細引紐の網目の谷部に対応する皮膚面の非圧迫部に形成された死斑であるとすれば、同じく非圧迫部である細引紐の外線付近に対応する皮膚面に死斑が例え一部でも出現しなければならない。これが全然認められないということは右線条痕が木綿細引紐による死斑ではありえないことを何よりも示している。
さらに左側頸部にも線条痕が存在しているが、もともと死斑の形成される部位ではなく、これもまた右線条痕が死斑ではありえないことの証左となっている。
原決定は、右の点につき何ら反論を加えておらず、理由不備の違法を犯している。四、前頸部の手掌大の皮下出血について
原決定は前頸部の手掌大の皮下出血の存在を疑問視する弁護側鑑定書、意見書について、もっぱら黒白写真からの判定の困難性を理由としてこれらを却けているが、問題はそもそも前頸部という部位に二個の手掌面大の皮下出血を容れる余地があるのか否か、鑑定人の「皮下出血」という所見は正確には筋肉内出血ではないのかという法医学上の基礎的理解にかかわることであった。原決定が右の論点において全く失当であることは多言を要しない。
五、検討の結論について
原決定は、本件を振頸による窒息死と判定した五十嵐鑑定の証拠価値を維持した。五十嵐鑑定書第四章説明(3)殺害方法についての項は、「前頸部には、圧迫痕跡は著明であるが、爪痕、指頭による圧迫痕、索痕、表皮剥脱等が全く認められないので、本屍の殺害方法は加害者の上肢(手掌、前膊或は上膊)或は下肢(下腿等)による頸部扼圧(扼殺)と鑑定する」と記述している。
しかしながら、五十嵐鑑定のいう上肢或は下肢による頸部扼圧によっては前頸部の損傷C1のような著名な皮下出血痕は形成され得ない(上田鑑定その他)。
ちなみに自白を離れて石山鑑定が着衣の襟締め、原決定がタオルを凶器として想定するのはまさにこれに起因している。なお、五十嵐鑑定書の上記所見は原決定によれば、「前頸部の圧迫痕跡(手掌面大の皮下出血二個など)が著明であるのに、頸部に索条痕、表皮剥脱はないことなどから、窒息は絞頸ではなく、扼頸によると認められ、また、その方法は、頸部に爪痕、指頭による圧迫痕が存在しないことなどから、手掌、前膊、下肢、着衣等による頸部扼庄による他殺死と推定される」となっており、五十嵐鑑定書に記述されていない「着衣等」が付加されている。これは原決定が石山鑑定の「着衣の襟絞め」に事実上影響された疑いがあること、「着衣等」とすることによってタオル導入に道を開いたことを示唆している。これは頸部扼圧の具体的方法に上肢および下肢以外の凶器を含めることによって、五十嵐鑑定の所見との整合性を維持しようとしたものであろうが、五十嵐鑑定書に記述されていないものを援用せざるを得ないという自己破綻を露呈している。
赤色線条痕は頸部に纏絡された木綿細引紐の死後の圧迫による死斑であり得ないことは前記のとおりである。赤色線条痕、上山鑑定人が摘出した蒼白帯Xおよびその他の頸部の痕跡は、いずれも生前軟性索条物の圧迫の結果形成された索痕としてのみ説明可能であり、これによって頸部の諸所見は相互に矛盾することなく絞頸の痕跡として総合的に判定され得る。
以上の次第であって、扼頸による他殺死とする確定判決を維持する原決定の判断は全く誤っており、取消しを免れない。六、自白と死体の客観的状況との間の重大な齟齬
原決定は、軟性索条物による絞頸が行われたとしても、確定判決を維持すべき結論は変わらないとしている。
しかしながら、原決定は前記のとおり比較対照すべき一方である自白にはない「夕オルの上からの頸部扼圧」なる事実と五十嵐鑑定の所見を対比するという誤りを犯している。
さらに原決定は、手掌による扼頸の自白に依拠した確定判決が依拠しなかった別の自白(タオルによる絞頸)を援用するという誤りも犯している。後者の自白は六月二三日付員面調書(二回目)である。右調書はそれ以前の三人共犯説の自白を撤回し、単独犯行説に転じた当日の自白である。当日のもう一通の自白調書(一回目)には被害者殺害後現場で自力で脅迫状を作成した旨の供述がある。しかし、自力による脅迫状の作成は、補助者ないし補助手段なしには自ら文書を作成し得なかった当時の請求人の筆記能力の程度と矛盾することはあまりにも明らかであった。当然のことながら、翌日には強姦・殺害当日以前の時期に脅迫状を作成した旨の供述に変遷し、これが最後まで維持された。六月二三日の二通の調書は、大変遷の中でいわば置き捨てられた信用性のない調書である。もしも供述者が当初は全面否認し、その後三人共犯説の自白を経て、単独の強姦・殺害を遂に認めた真犯人であったとすれば(いわゆる落ちるところまで落ちた状態にあれば)、脅迫状の作成時期という本筋以外の事実でことさらに虚偽の事実を述べる筈はないのである。したがって、右六月二三日の調書は、むしろ請求人の無罪を証する証拠である。その理由は右調書の存在によって、請求人の一連の自白は真犯人が一部虚偽の事実を述べた自白ではなく、犯人でない者がそれ故に述べた虚偽の自白であることを如実に示すからである。確定判決の維持のために例ぇ一部でも右のような信用性に重大な疑問のある時期に作成された調書の供述を援用することは本質的に自らの墓穴を掘るものといわなければならない。
なお、原決定は記憶の混乱や一部亡失などによって実際の犯行のとおり正確に供述されたとは考えられないとも述べている。しかしながら、原決定が援用している自白を通観すると、顕著な事実は検察官作成の調書においては誘導が歴然としていることである。「右手の親指と外の四本の指を両方に広げて」(六月二五日付)、「首といってもあごに近い方ののどの所を手の平が当たる様にして上から押さえつけたわけです」(七月一日付)、「右手の親指と外の指を両方に開く様にして、手の平をY(被害者)ちゃんの喉に当てて、上から強く押さえました」(七月四日付)となっており、いずれも爪痕、指頭による圧迫痕がなく、手掌による頸部扼圧の可能性を認めた五十嵐鑑定書の所見と整合するような供述内容となっている。これに反し司法警察官作成の調書においては「私の右の手でY(被害者)ちゃんの首を上から押さえつけ…中略…その時ずっと右手でYちゃんの首を上から押さえつけていました」(六月二五日付)、「夢中で自分の右手でY(被害者)ちゃんの首を上から押さえつけてしめながら…中略…私は夢中で力一杯押さえつけていた」(六月二九日付)となっており、明らかに検察官作成調書との差異が認められる。すなわち、指を広げた手掌による頸部扼圧という検察官調書における自白は、五十嵐鑑定書の所見を反映した誘導の所産である。本件第一次再審請求特別抗告棄却決定以降の殺害の態様に関する裁判所の判断は、タオルによる絞頸の自白を含む当該調書の供述の信用性を何ら吟味することなく、これを援用するという基本的な誤りを犯していると言わなければならない。何故ならば、解剖鑑定書の所見と整合する自白に変遷し、かつこれが何度も確認され、その結果確定判決が死体の客観的状況と自白との間に重大な齟齬がないと認定した後で解剖鑑定書の所見が動揺した場合、確定判決が採らなかった、また採り得なかった僅か一回表れたに過ぎない自白を信用性の検討なく援用して、それでも客観的状況と自白との間に重大な齟齬がないとして遮二無二に確定判決を維持するのは、確定判決の内容の事実上の空洞化に目を塞ぐものであって、まさに司法に対する信頼を根底から傷つけるものと言わなければならない。
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