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第九、殺害現場付近で農作業中の者の存在についての原決定の誤り

       

本項目次

一、原決定はOn・Taの供述を正当に評価していない

二、原決定が条件の相違を理由に、識別鑑定、悲鳴鑑定等の新証拠の明白性を否定したのは不当である

       

一、原決定はOn・Taの供述を正当に評価していない。

 弁護人は原決定審段階で提出した「殺害現場」付近で農作業していたOn・Ta関係の新証拠によって「殺害現場」に関する請求人の自白の信用性は崩壊していると確信するものであるが、原決定は同人の供述を正当に評価しなかったばかりか、「Onが除草剤撒布作業中に人の声を聞いたという右の経験は、請求人の自白供述に沿うものと見ることができる。」との強引にねじ曲げた判断をなしている。
 原決定は、同人の員面、検面調書の供述内容と弁護人に対する二通の供述内容との相違点を取り上げ、「弁面二通は、殊更に虚偽を述べたとは考えられないけれども、事件からそれぞれ一八年、二二年の歳月を経てから、求めにより、当時を思い起こして供述したものであり、前記捜査官に対する供述に比して、より正確であると認め難いものといわなければならない」としている。
 しかしながらOn・Ta関係の四通の捜査報告書、同人の員面、検面調書の供述内容と弁護人に対する供述内容とは基本的部分においては一致しているのである。同人が、請求人の自供に基づいて確定判決が認定した「犯行時間帯」に「殺害地点」から、約三〇メートルの至近距離で除草剤撒布の農作業を行っていたにもかかわらず、同人は、請求人・被害者の姿を見ておらず、請求人の自供にある悲鳴も耳にしていないし、請求人もOnの存在について何も供述していない。これらは動かすことのできない事実である。
 原決定は、同人の捜査官に対する供述中、「声の方向や男女の別などは分からないが、誰かが呼ぶような声が聞こえ」たという供述を、「請求人の自白に沿うものと見ることができるのであって、これと相容れないものではない」と強引にねじ曲げての判断をなしている。同人が「誰かが呼ぶような声」を聞いたのは、原決定の認定している犯行・殺害時間帯以前の「午後三時半から四時頃の間」のことであるし、男女の別も方向も分からないものであり、「キャー」「助けてー」という三〇メートルの至近距離のものとは全く異質のものである。五月三〇日付捜査報告書には、「午後三時半から午後四時頃の間のことであるが、方向、男女の別は判らないが、誰かが呼ぶような声が聞こえ」、「誰かが呼ぶような声」を聞いたとき、「雨が少し降つていたので急いで仕事を続行し午後四時三〇分頃除草剤が終わつたので仕事をやめ」た旨の記載がなされている。六月二日付捜査報告書には「作業を始めてから終わる迄、降雨のため軽三輪車の中に入り、雨やどりしたのは一回、約五分位、それは妻が洋傘をとりに来た後(午後二時半頃から午後三時頃の間)のことである」と記載されている。当時の降雨状況についての入間基地からの回答書では、午後三時二六分から午後三時三九分の間に降雨が記録されているのであり、同人の「誰かが呼ぶような声」を聞いたのは「午後三時半から四時頃の問」であり、それを聞いたとき、「雨が少し降っていた」という供述は、右降雨状況とも付合しており、確定判決の認定している犯行・殺害時間帯とは重ならないことは証拠上明白であるのに、原決定はこれらを無視し、強引に「誰かが呼ぶような声」を「悲鳴」と結び付けているのである。
 殺害場所とされた四本杉から約三〇メートルの至近距離で、桑畑に除草剤を撒布する農作業に従事していたOn・Taの「事件当時から、本当にそこで犯行があったのだろうかと疑問に思ってきたが、もしそこで被害者が悲鳴をあげたのであれば、私はそれを聞いた筈であるが、そのような悲鳴は聞いていないし、犯人の方も私が農作業をしている音を聞いた筈である。」との供述は、本来は請求人の犯行現場に関する自白が虚偽架空であることを証明する新規明白な証拠であるのに、原決定はこれを正当に評価せず、予断と偏見により強引にねじ曲げた判断をなしているものである。

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二、原決定が条件の相違を理由に、識別鑑定、悲鳴鑑定等の新証拠の明白性を否定したのは不当である。

 内田雄造ほか作成の昭和五七年一〇月一二日付鑑定書(第一次識別鑑定書)は、犯行が行われたとされた時刻、当時の天候、桑畑・雑木林の状態、犯人・被害者・Onの服装等の与条件の下で、(1)雑木林内の犯人・被害者の位置から、農作業中のOn及び自動三輪車を見通し、識別することが可能かどうか、(2)桑畑内のOnから雑木林内の犯人・被害者を見通し、識別する事が可能かどうかを明らかにするため、現場において再現実験を行い、得られたデータを分析、解明したものである。
 内田雄造作成の昭和六一年七月二〇日付鑑定書(第二次識別鑑定書)は事件当日と同様の天候条件のもとで事件現場において照度測定を行い、(1)実測データーに基づく一九六三年五月一日の午後四時から四時半にかけての「事件現場」(Onの位置、犯人・被害者の位置)の照度の推定、(2)同推定値のもとで、雑木林内の犯人・被害者の位置から、農作業中のOn及び自動三輪車を認知することが可能か、(3)同条件下で桑畑内のOnから雑木林内の犯人・被害者を認知することが可能かについての鑑定を行ったものである。識別鑑定の結論は、事件当日の犯行時間にあっては、犯人・被害者と桑畑内のOnとは十分な明視環境にあり、犯人・被害者は、とくに努力することなく、農作業を行っているOnを当然に認知したはずであり、Onも十分に犯人・被害者を認知しうる状況であるというものである。
 安岡正人ほか作成の昭和五七年一〇月九日付鑑定書(悲鳴鑑定書)は、On供述、請求人自白に基づく音の発生等を前提条件として「犯行現場」の松の位置での被害者・犯人との会話、姦淫・殺害地点とされている杉の位置での被害者の悲鳴と犯人の命令・脅迫の声、Onの噴霧器音と自動車の発車音の四つの音が、それぞれの位置で聞こえるかどうかの実験を行い、その実験結果に基づいて鑑定がなされたものである。
 被害者の悲鳴音のOnによる聴取についての鑑定結果は、「女性の悲鳴は、意識がなくても耳に飛び込んで来る大きさであり、その特殊な音色や情報(音声の意味内容)からすればどの地域にいても証人の知覚に訴えたものと断定できる。」というものである。
 これらの鑑定書のはかにも弁護人中山・横田現場検証報告書、横田現場調査報告書、中山・横田悲鳴実験報告書、昭和三八年五月四日撮影の航空写真等の新証拠を原決定裁判所に提出し、もし、本件犯行が確定判決認定の時間と場所で行われたとすると、Onは、当然に犯人・被害者に気づいたはずであり、犯人・被害者の方でも農作業中のOnを至近距離で認識したはずであるのに、そのような状況が全くなく、請求人の殺害現場に関する自白は虚偽架空であることを明らかにしたのである。
 しかしながら原判決は、「所論が援用する鑑定書、報告書等は、いずれも昭和五六年から六一年にかけての現地調査に基づくものであるが、事件当時から二〇年近くを経て、現場とその周辺が大きく変容したことは察するに難しくなく、事件当時のままに地形、気象、地上物等の条件を設定しあるいは推測により近似の条件を設定して、近くで悲鳴がおこることなどまったく予期せずに、除草剤撒布の作業に集中していたOnの心理状態を含め、当時の状況を再現することは、非常に困難なことであるといわなければならない。」として明白性を否定している。
 犯行現場周辺が事件当時とは変容していることは原決定の指摘するとおりであるが、事件当時の雑木林の松の木の樹齢は二十年余りであったが、実験・鑑定時は、それから十九年経過しているので幹の大きさは当時の二倍近くになっており、事件後伐採された雑木も残存している切り株および実況見分調書添付写真をもとに復元したうえで、識別実験を行ったもので、実験時の方が見通しの条件は悪くなっているし、全ての再現条件について、請求人側に不利な条件をとった場合にもどのような結果が得られるかについて分析、解析しているのである。悲鳴鑑定も、音源条件や環境条件を、事件当時の条件と相似させ、実験上の安全率を厳しくとってなされているのである。地表条件の違いについても、鑑定書は「この程度の樹木の密度や伝搬距離ではその影響は無視できる程度」であることを資料により根拠を示しているし、気象条件についても、犯行時と実験時は「大略同等」であり、地表面からの温度勾配や風などの伝搬性状に与える影響も、実験の伝搬距離程度では極めて小さいものであることが資料を示して説明されているのである。
 事件当日の気象状況は、確定判決審で取調済の入間基地からの回答書、気象庁の記録により確認されているのである。原決定は除草剤撒布に集中していたOnの心理状態も問題にしているが、Onは作業中に「旭住宅団地より南に通ずる道路を北より南にオート三輪車が通った音」(昭和三八年六月二日付司法巡査水村菊二作成報告書)を聞いているし、荒神様(三柱神社、On畑より約五〇〇メートル北西方向)の拡声器から歌等が流されているのも聞いており、農作業に集中していても種々の音を聞き分け、記憶しているのであるし、鑑定は、環境工学・心理学等の研究をもとに視覚的認知の諸条件についての分析を進め、請求人の自白、On供述に基づいて、条件を設定し、実験と測定を行い、すでに解明されているデーターをもとに考察をなしたものである。
 原決定は、事件当時の雑木林周辺の地形、地表の状況、事件当日の気象状況から、Onが犯人と被害者の姿に気付かず、被害者の悲鳴も「誰かが呼ぶような声が聞こえた」と感じたものであるとしているが、悲鳴鑑定書には、人の声が、麦畑、桑畑、雑木林に吸収されて聞こえにくいという点については、犯行現場程度の樹木密度や伝搬距離では、その影響は無視できる程度のものであることが資料を示して説明されているし、事件当日の「毎秒四・一メートルないし六・七メートルの北風」についても、同鑑定書の気象条件の項に記載されているように、事件当日の風等の音の伝搬性状に与える影響は、本件の伝搬距離では極めて小さいものであるし、事件当日の風は、風力3(細かい小枝が動き、軽い旗がヒラヒラする)乃至風力4(砂ぼこりが立ち、紙屑がまい上がる)程度の風なのである。
 原決定は、識別鑑定、悲鳴鑑定等の新証拠について、内容に立ち入り、具体的検討をなすことなく、一般的、抽象的に条件の違いを持ち出すのみで、その明白性を否定しているのである。原決定は「その援用する証拠をすべて併せて、確定判決審の関係証拠と総合検討しても、確定判決の事実認定に合理的な疑問を抱かせるには至らないというべきである。」と判示しているが、「犯行現場」に関する請求人の自白を裏付ける客観的証拠は何一つ存在せず、自白が真実であれば当然に血痕が発見されなければならないのに、ルミノール反応検査がなされたのに反応はなかったものであるし、請求人の「引き当たり捜査」さえもなされていないのである。請求人の「犯行現場」に関する自白はそれ自体不合理であり、出会い地点、連れ込んだ動機、犯行順序についての供述も変転定まらず、事実と多くの点で齟齬している。これらに加え、On・Ta関係の新証拠により、「犯行現場」に関する確定判決の認定には合理的疑いがあることが益々明らかになったにかかわらず、原決定はこれらの新証拠を真剣に検討することなく、その明白性を否定したものであり、とうてい容認することはできない。

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