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(九)、大野第二鑑定書の新規明白性と原決定の誤りについて

1、原決定の大野第二鑑定についての批判の骨子は要するに
(1)大野鑑定のいうところの「当時の請求人の書字能力はかろうじて小学校一年生程度のものであったことは確実である。」など小児同然に近いものと評価しているが、右は正鵠を得ていない旨、
(2)その理由について、「書字習得に必要な知的能力においては、通常人になんら劣るところはなく、他家に奉公し、工場勤めを経験するなど、社会経験もある程度は積んでいたのであるから、(中略)ある程度の書字・表記を独習し、これを用いていたことは、確定判決審の関係証拠から虜われる」としたところにつきる(右「書字習得に必要な知的能力」とは何をさしているのか?)。
 これを要するに、大野第二鑑定についてその内容を事実にもとづいて批判したものではなく、単に当時の請求人の書字能力でも脅迫状は書き得たとし、それは『人は大人となり、経験を積めば字が書けるようになるものだ。』という一般論をのべることによって、同鑑定書の明白性を否定したにすぎないのであった。説得力を欠き、それは単なる推測にしかすぎなく、とうてい同鑑定書の明白性を否定しうる力はないのである。
 ところで五才当時から子守奉公に出され、小学校も欠席がちで、長じてのちひたすら労働に従事してきたものが、大人になっていくというだけで書字能力が身につくにちがいないとの考えは、高学歴社会を歩み、文字の世界に身をおく職業裁判官の狭い知見、独断にしかすぎないのである。
 公判実務において裁判官、弁護人らが度々目撃してきているように、立派な大人(証人)が、証人宣誓書(決して字画の多い漢字がならんでいるわけではないのである。)を読み上げることができず、廷吏に代読してもらい、あるいは氏名住所さえ書けずに代筆してもらうことは、今日においても、決して珍しい情景ではなく、いまから三六年前の請求人の場合には一層のこと、脅迫状作成にみあう書字能力の全くなかったことは容易に推測できる。
 問題は想像力であるが、このことに思いつかないとはまことに情けない。もっともこれが刑事裁判の場においては情けないではすまず、誤判の恐怖の日常性にはぞっとさせられる。
 原決定頂、大野鑑定人による実証的検討からの(さすがに、確定判決のいうよぅに、「不確定な要素を前提として、自己の感想ないし意見を記述した点が多くみられ、到底前記三鑑定を批判しうるような専門的な所見とは認めがたい。」との勇み足はひつこめられているが。)国語学上の結論をあえて無視した。

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2、大野鑑定書は被告人の公判供述を引用して、つぎの結論を合理的に引き出した。
(1)平仮名についても正しく書けない字があった。
(2)恋人との手紙のやりとりも、他人の助力によってはじめて行ない得たこと。
つまり手紙も読めず書けなかったこと。
(3)選挙の際には投票すべき候補者の名前を練習して行ったこと。
(4)被告人は逮捕後、脅迫状を見せられて何回も書かせられたが、脅迫状であることを十分認識できなかったこと。
(5)書かせられた漢字について十分認識できていないこと。これは脅迫状の中の万葉仮名が理解できなかったからである。と各分析している。右各分析は正鵠を得ている。
 右鑑定儲果について原決定は、原検察官の証言を引用し、請求人のいうところが真実とはうけとりがたいというのみで右鑑定結果を黙殺した。
 原審としてはいずれが事実であるのかに疑点があれば、公判廷において請求人本人尋問を実施してその真相を確かめることもできた筈である。刑事裁判官の想像力は、常に、被告人側に不利に働くとしかいいようのないものであろうか。この姿勢は、原決定の随所にみられる。

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3、ところで大野鑑定書は前記したように、当時の請求人の書字能力を「小学校一年程度であることが明らかである。」旨評価しているが、右判断は同鑑定書二三頁以下に示されているように実証的検討の結果なされたもので、原決定のいう、『大人になれば書字能力はつくもの』などという、浅薄な独断をもとにしたものではないのである。
 また大野鑑定書は七月二日付請求人筆記の脅迫状写しについて検討を加え、「脅迫状に使われている漢字のうち、小学校二年程度の中の、画数の多い『門』、『車』は、写しでは『もん』、『くるま』と仮名で書かれている。また三年、四年、五年、六年程度及び教育漢字外にあたる『死』、『園』、『命』、『武』、『供』、『刑』、『札』、『江』は『写し』の方では『し』、『エン』、・『いのち』、『ぶ』、『ども』、『けい』、『さつ』、『エ』と、仮名で書かれている。」と各指摘し、請求人逮捕後である昭和三八年七月ころにおいて、同人の漢字書字能力のきわめて低劣なことを立証している。論より証拠というのはこのことであって、事実(真実)は細部にこそ宿るという命題を如実に顕現したのである。
 また同鑑定書は、脅迫状における万葉仮名的用字法を逐一検討し、確定判決が認定したところの、「被告人は漢字の正確な意味を知らないため、その使い方を誤り、仮名で書くべきところを漢字を充てるなどして前記脅迫文のとおり特異な文を作ったものと考えられる。」旨の認定の誤りであることを指摘している。すなわち、当時の請求人が「で」、「き」、「な」、「し」については平仮名で書くことが可能であったのに、「その仮名をすてて『出』、『気』、『名』、『知』などの漢字を用いるのはきわめて作為的であること明白である。」とし、脅迫文は、確定判決のいうような、「単なる漢字仮名の混用ではない」とし、「今日の日本人の書字行為としては、このような文章を書くためには、一度、漢字平仮名混じり文として普通に文章を書き、その中から右の『で』、『き』、.『な』、『し』、『え』の部分を囲出して、そこに『出』、『気』、『名』、『知』、『死』、『江』という字をあらたに書き、さらにそれを清書しないならば、このように書くことは、不可能である。このような不自然な仮名使用は右のような経過を経ずには書き得ないことも、鑑定人は、仮名研究者としての長年の経験から断定するものである。」と述べている。大野晋鑑定人の国語学上における研究実績、その碩学であることを裁判官はご存知ないのであろうか。

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4、大野鑑定書は確定判決の「『りぼん』その他の補助手段を借りれば作成が困難であるとは認められない。」旨の認定をつぎのように批判する。
 「しかし実際に、『りぼん』を手にして、脅迫状に使われた漢字のうち、(中略)『門』、『車』、『死』、『園』、『命』、『武』、『供』、『刑』、『札』、『江』、『出』、『気』、『名』、『夜』、『池』をその二五〇ページの中から拾い出す作業を一度でも試みたものならば、『りぼん』から漢字を拾い集めたという説明が、いかに無理なものであるかを経験し、理解することができるであろう。」とし、「(判決や自供では)いかにして『りぼん』から文字を拾い出したかの経過を明確にし得ていないが、それは、『りぼん』のごとき雑誌によって、漢字を集めて使用したという推定そのものが根本的に無理な推定だからである。」との判断を示している。同鑑定書が指摘するところは我々の経験則にてらして容易に推察できる。
 たとえば二〇字ばかりの漢字を与えられて、「これで適当に手紙文を作れ。」と指示され、はたして何人がこれをよくなしうるのであろうか。ましてや、文章作成能力が低くかつ当時書字能力の低級であった請求人においては全く不可能であることは容易に想像しうる。大野鑑定書が指摘するように、右に関連の自供部分を丹念に検討しても、脅迫状作成の実際をリアルに認識することができないのは、まことに、請求人が体験のない架空の事実をのべたことの証左なのであった。

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5、その他大野鑑定に示される、脅迫状と上申書などとの比較検討における句読点の用い方の差異、運筆速度の問題、拗音の書字の差異をめぐつて、国語学上の知見をふまえた鑑定結果が示すとおり、詳細は同鑑定書にゆずるとして、その結論としての、「被告人は『りぼん』によって脅迫状の文面を作成することは不可能である。」旨の鑑定結果の証明力は、同鑑定人が記載しているように、自ら、最高裁判所資料室において実物を検証した上での判断であって、きわめて正鵠を得たものといえる。これについての原決定が判示するところの誤りであって、大野鑑定書の新規明白性はまことに明らかである。

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