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第五、血液型についての原決定の誤りについて

       

 原決定は、五十嵐鑑定が「判定に使用した血清が、厚生省の定めた基準に及ばない凝集素価八倍であった点に問題があることは、上山第一鑑定書が指摘するとおりである」ことを認め、「五十嵐鑑定が、凝集素価の低い血清を判定に用いたために、通常のA、B抗原の存在についてはともかくとしても……擬集反応が極めて微弱な血球抗原については、その存在を認知できなかった虞のあることは否めない」ことをもって、「右判定用血清は、ABO式血液型検査の『おもて試験』に相応しいものであったとは言い難い」と判示した。
 また、原決定は、「『うら試験』を行った事跡が窺われないことも、上山第一鑑定書が指摘するとおりであり、これが行われなかったがために、血清側からの『おもて試験』の精度の検証がないだけでなく、被害者の血液型が、『おもて試験』だけからでは判定不可能な、特殊の亜型あるいは変異型……であることを見逃す虞もあり得た」ことを認めながらも、「対照された既知のA型、B型の赤血球は、本件判定に用いられた右の凝集素価八倍の血清に対して、いずれもあるべき凝集反応を示した」ことをもって、「通常の血液である限り、それ相応の信頼性はあると認めてよい」とし、「明らかに判定上不都合なのは、亜型ないし変異型抗原をもつ血液型であった場合である」が、「亜型、変異型の存在が極めて稀であることは、所論援用の血液型関係文献等の成書に明らかであり、上山第一鑑定も認めるところであって、結局、被害者の血液型をO型とする判定には、総体として、相当の信頼性が認められる」というのである。
 しかしながら、血液型関係文献には「日本人ではABm、特にBm型のヒトがかなり多い。唾液中のB型質の証明がきめ手になることが多い」(船尾忠孝『法医学入門』昭和五五年一七〇〜一貫)「B型変異型については、不思議にわが国に報告例が多い。A型あるいはA型の出現頻度が白人にくらべて明らかに少ないのとくらべて興味深い現象である」(国行昌頼『臨床に必要な血液型の知識』同四九年二版一九頁)ことが指摘されているのであり、「亜型・変異型」の存在が稀であるといっても、その存在が確認される以上、被害者の血液型をO型とは断定できないのである。そして、この点については、原決定が「確定判決が援用する五十嵐鑑定の血液型判定の検査方法には問題があり、被害者の血液型が確実にO型であるとまでは断定できない」と判示するところと結論を同一にする。以上の点について、上山第一次鑑定は、「それらの頻度は、比較的稀れか、きわめて稀れな血液型ではあるが、稀れだからという理由で、それらを判定の際の考慮の外に置くことは許されない。それは被害者の血液型の如何が、後述するような精液の血液型、ひいては犯人の血液型の決定に大いなる影響を及ぼすことになるからである」と指摘しているが、右指摘は正当であるといわねばならない。本来、法医学には、このような精密さが要求されているのである。
 また、船尾忠孝『法医学入門』には「ABO式血液型の判定は必ずこの両者を併用すべきものでオモテ検査だけでは検査を行ったとはいえない」(一六六頁)との記述があり、「おもて試験」と「うら試験」の両者を併用すべきであることは、法医学上のみならず、医学上一般で承認されているとみられるのであって、現に本件控訴審二五回公判で取調済の昭和四二年五月二〇日付上野正吉作成の鑑定書(申立人の血液型に関する)においても。右試験の施行が記載されている(同書第二章検査記録の項においては、むしろ「うら試験」の方が先に記述されている位であって、「うら試験」施行は当然のこととされていることがうかがわれる)。
 もともとABO式血液型判定は、原決定が「右のような血液型の一致の事実は、それのみで請求人が犯人であることを意味するものでないことは勿論である」と述べるとおり、蓋然性の範疇で判断されるべきであり、「客観的な積極証拠」として評価することは誤りといわねばならない。血液型を「自白を離れて存在する、客観的な積極証拠の一つ」として評価した原決定の誤りは明らかである。

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