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第一七、鞄に対する原決定の判断の誤りについて

            

 原決定は、本件鞄発見の経緯に徴すると、「本件鞄は、請求人の供述に基づき捜索の 結果、請求人が捨てたと図示した場所から程遠からぬ地点で発見押収されたものと認めることができる」とし、本件鞄の発見場所が「遺体発見以来、捜査当局が、それまでに幾度か証拠物捜索の対象とした地域であった」ことは認めながらも、発見地点が「荷掛け紐発見地点の略西方五六メートル、教科書等発見地点の略東方一三六メートルに位置するのであって、いずれの場所とも道路を隔てており、五月から六月という時節柄、本件鞄は、草木の繁茂する雑木林の端付近(当時の現地付近の模様は、右実況見分調書の添付写真、司法警察員伊藤操作成の同年五月二五日付実況見分調書(第一審記録一三四八丁)の添付写真等から窺われる。)の溝の中で泥に覆われていたのであるから、以前の捜索の際に必ず発見できていたはずであるとは言い得ない」と判示した。
 また、「畑と雑木林が混在し、そこかしこに点在する集落間を結ぶ未舗装道路や、地図上に載らない、狭くて曲折した農道が幾本も走ってるような場所であり、後に投捨場所を特定する目印になるようなものもほとんどなかったのであるから」 ということを理由に、「請求人の図示が、ある程度不正確なものであったとしても不自然とは言えないし、請求人の描いた略図を見た警察官の側においても、場所の特定としては、その程度のものとして受け止めて、捜索に当たったものと認められる」と判示した。
 しかしながら、本件鞄発見地点は、捜査当局が当然捜索する範囲内に位置しており、現実に捜索されたであろうことは、捜査官証言等から十分推認されるところである。すなわち、「教科書類が発見された地点の捜査は、その付近一帯を徹底してやった」(原二審一三回公判、将田政二)「本があったんだから鞄もどこか別にあるんだということで、小島警部の班だろうと思うんですが、捜査は一生懸命にやつたように私は記憶してるんですがね」(同四七回公判、清水利一)などの証言があり、特に、原二審六五回公判における高橋乙彦証言によれば、「付近一帯」を捜索したのであり、「薮とかどぶ、山と畑の間」は重点的に捜索したことが明らかである。

 山狩りの方法なんですが、今、はぼ一列に並んだりしてということのお話があったんですが、その他、特徴的な点はどのようなことがありますか。
 特徴的な点は一列に並びますが、薮とか、特にここがおかしいというところはそこに行って調べてみました。
薮などは細かに調べると。
 はい。
おかしいところというのは、現場に即して思い出していただきたいんですが、例えばどういうところをおかしいとして捜索したんですか。
薮とかどぶ、山と畑の間ですね。
(略)
重点をかけたのは山とか、山と畑の間とか、薮とか、雑木林の中とか、こういうところでしよう。特に重点を置いて調べたのはその、発見の付近二何ということじやないんですか、四日以後は。
 ええ、付近一帯になりますね。
そうでしょう、死体は上がりましたけどもまだそのほかに遺留品があるんじゃないかということで、お調べになったんでしよう。
 ええ、そうです。
どんなふうなものがあるだろうという推定でお調べになったんですか。漠然と調べたんですか、あるいはこういうものは必ずあるに違いないということだったんですか。
 本人がもっていたカバンあたりが重点だと思います。
(略)
最初に山狩りをする時に一列横隊に並んで順次捜して行くというようなことをしたといわれましたね。
 はい。
大体、そういう形でやられたと。
 原則はそれでやっております。条件によって違いますが。
そうすると麦畑などを捜索される場合に麦の畦のみぞを捜索するという形ですか。
 やっております。

 機動隊の分隊長として山狩りに従事した右高橋乙彦証言からも明らかなように、五月二五日の教科書類発見後には鞄が埋められた溝も捜索の対象になったであろうことが窺われるのである。本件鞄発見には「捜査機関ないし裁判機関によって容易に発見されえない特殊事情のある内容」(鴨良弼)は含まれておらず、本件鞄埋没場所自体については、特段の秘密性があった訳でないことは明らかである。

 新証拠として提出したM・Sの検察官に対する昭和三八年七月三日付供述調書には、本件鞄が発見された溝につき次のとおり記載されている。

 この溝は強い雨が降ると溝一杯に水があふれて速度は早くありませんが、水は東の方に流れる様になっています。本年六月四日頃、私がその溝の近くの桑畑に桑を刈りに行った時は溝の半分位迄水がたまっていました。…中略…あの溝は、大雨が降ると溝から水があふれ出して、畑に迄水が出る事もあります。

 右M・Sは、原一審五回公判においても、「鞄が発見される前あのほりには水が相当流れたことあります」と証言している。もしそうだとすれば、自白の態様のような「埋没」では、仮に溝に捨てたとして、右流水時に鞄は流れ出し、自白した投棄地点付近よりも東に移動していたはずである。ところが、現実の発見場所は、逆に自白地点付近の西方一〇〇メートル以上の地点であって、客観的状況との間で重要な食い違いを生じることになる。請求人は、鞄発見場所付近については、少年時代の遊びや山学校の手伝いなどを通じてその地形等をよく知っており、もし右付近で鞄を捨てるとすれば、大雨後に流水することがわかっている本件溝をわざわざ投棄場所に選ぶことはありえないのである。しかも、自白調書上「投棄した」時刻頃には、すでに本格的な降雨が約二時間半も継続していたのである。
 もしも請求人が犯人であるならば、雨に打たれながら、溝に鞄を棄てたわけであって、当然流水も予想されたであろうのに、請求人は、次のとおりポリグラフ検査において「水」に対して全く特異反応を示していないのである。
 六月一一日付ポリグラフ検査書においても、「鞄の始末(処分)してあるのは水の中か君は知っていますか」との質問に対する反応は陰性)となってい、特異反応は認められない。一般にポリグラフ検査において特異反応が認められるのは、被者が犯人である場合のほか、被験者の推測と一致する場合、身体的刺激や検査者の特異な日勤などに起因する場合もあるので、特異反応が認められたからといって必ずしも被験者が犯人であるとは限らないとされている。しかし、逆に特異反応が何ら認められない場合には、上述の原因がすべて否定される。本件において、右検査結果は請求人が犯人でないことを示しているといわなければならない。右のことを科学的に論証したのが、新証拠である多田敏行作成の「狭山事件とポリグラフ検査」と題する論文である。
 前記のとおり旧証拠のみからでも、本件鞄に関する確定判決の事実認定は相当動揺しているのであるが、右の新証拠を加えて総合判断されるならば、確定判決に対する合理的疑いは払拭しがたいものとなり、右新証拠は刑訴法四三五条六号にいう「無罪を言渡すべき明らかな証拠」である。本件鞄は、自供に基づいて発見されたとは認めちれず、従って何ら秘密の暴露には該らない。原決定の誤りは明らかである。

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