発見万年筆の証拠能力を大きく突き崩す新証拠
下山鑑定について

 

 部落差別に基づく冤罪・狭山事件は、2017年5月で事件発生から54年が経過、不当な有罪判決である寺尾確定判決(1974年10月31日・2審・東京高裁 寺尾裁判長)から43年、再審請求から40年、東京高裁へ第三次再審を申し立ててから11年が経過しました。

 

 石川一雄さんは無実の罪で逮捕されてから半世紀以上にわたって、現在78歳の石川さんは来年の1月で79歳になってしまいます。

 

 2009年に門野裁判長(当時)による証拠開示勧告以降、これまでに190点の証拠が開示され、石川さんの無実を証明する191点もの新証拠が裁判所に提出されています。

 

 このページでは、狭山事件の寺尾確定判決の核心とされた三大物証(発見万年筆、カバン、腕時計)のひとつである「発見万年筆」の証拠能力を突き崩す決定的な新証拠である「下山鑑定」がどのようなものなのか、発見万年筆の問題と合わせて説明します。

   

 1963年5月1日、埼玉県狭山市で女子高生が学校帰りに行方不明となり、その夜、身代金を要求する脅迫状が届けられるという事件が発生しました。

 

 5月3日、警察は身代金を受け取りにきた犯人を取り逃がしてしまうという大失態を演じ、翌4日、女子高生の遺体が発見されました。

 

 世間から大きな批判を受けた警察は、市内にある2つの被差別部落に見込み捜査を行ない、5月23日早朝、当時24歳だった石川一雄さんを別件で逮捕したのです。

 

 1カ月にもおよび、石川さんは無実を訴え続けましたが、兄の六造さんが犯人であるかのような取調官の言葉にだまされ、ウソの自白をしてしまい起訴されてしまいます。

  

 石川さんは第2次再審請求中の1994年12月に仮出獄し、31年7カ月ぶりに故郷の土を踏みしめましたが、石川さんの両親はすでに亡くなっていました。石川さんは「見えない手錠をかけられたままでは」と、無罪を勝ち取るまで両親の墓参りはしないとの決意で闘いを続け、支援者であった早智子さんと1996年に結婚。以来、二人三脚で全国を駆け回り、一日でも早い無実・再審開始を訴え続けています。

 
▼発見万年筆 写真


 狭山裁判で最大の争点のひとつとなっているのが三大物証のひとつである「発見万年筆の問題」です。この「発見万年筆」は石川さんが自白をした後の1963年6月26日、3回目の家宅捜索が行なわれ、わずか14分という短い時間で被害者のものとされた万年筆が石川さんの家のお勝手出入り口の上の鴨居から発見されました。

 

 狭山事件の確定判決である寺尾判決では、石川さんの自白通りに鴨居から被害者の万年筆が発見されたと認定し、有罪の大きな根拠としています。

 

 犯人が残した唯一の物的証拠である脅迫状には、身代金を持ってくる日付と場所が訂正されていました。寺尾判決では、石川さんが殺害後、その場で被害者の万年筆を奪い、脅迫状のこれらの部分の訂正を行ない、被害者宅に脅迫状を届け、自宅に持って帰り鴨居の上に置いていたと認定されました。

 

 しかしながら、この発見万年筆から石川さんの指紋どころか被害者の指紋すら検出されていないのです。さらに、発見万年筆の中に入っていたインクは被害者が普段常用していたジェットブルーインクではなく、ブルーブラックインクが入っていました。

 

 石川さんの指紋や被害者の指紋が検出されておらず、中のインクも被害者が常用していたものとは違うインク、そんなものが有罪の証拠として扱われているのです。

 

 発見万年筆は、狭山事件の中で非常に重要な証拠とされていますが、警察がねつ造した疑いが強いこともあり、最大の争点のひとつとなっています。

   
▼ 被害者常用インク瓶 写真


 発見万年筆に被害者が常用していたインクとは別のインクが入っていたことが判明したのは、狭山事件第2審のときでした。

 

 事件当時、警察は被害者のインク瓶、被害者の日記と手帳を被害者の家族から提出をうけ、当時の科学警察研究所(以下、科警研)の荏原技官による鑑定を行なっており、その鑑定結果である荏原鑑定が検察から開示されました。

 

 しかしながら、この荏原鑑定についての証拠調べは行なわれずに寺尾確定判決が出されてしまったのです。

   
▼ 荏原鑑定クロマトグラム 写真

 荏原鑑定は狭山事件第2審の際に開示され、荏原第1鑑定、荏原第2鑑定があります。

 

 荏原第1鑑定では、被害者のインク瓶、日記と手帳のインクを発見万年筆のインクと比べるために、ペーパークロマトグラフィー検査で鑑定が行なわれました。


▼ ペーパークロマトグラフィー検査とは


 この検査では、発見万年筆のインクと、被害者が常用していたインクは「異質である」という鑑定結果が出ています。

 

 荏原第2鑑定では、被害者の級友のインク瓶、狭山郵便局備え付けのインクをペーパークロマトグラフィー検査で鑑定し、鑑定の結果は、発見万年筆のインクが、級友のインク瓶および狭山郵便局備え付けのインクと「類似している」というものでした。

 

 この荏原第1、第2鑑定から分かることは、発見万年筆の中に入っているインクは「ブルーブラックインク」であり、被害者が常用していた万年筆の中に入っているインクとはまったく違うものということです。

 
     

 弁護団は再審請求で、発見万年筆のインクは被害者が常用していたものと異なり、ねつ造された疑いがあるとして第1次再審開始を求めました。

 

 しかし、狭山事件の第1次再審請求は1980年2月5日に棄却されました。その後も、第1次再審・特別抗告棄却(1985年5月27日)、第2次再審・特別抗告棄却(2005年3月16日)と、この全てにおいて「発見万年筆にブルーブラックインクを補充した可能性がある以上は発見万年筆が被害者のものではないとはいえない」という、インク補充説を理由として裁判所は再審請求をことごとく棄却してきました。

 

 下山鑑定は、このインク補充説を根底から覆す重要な新証拠だと考えられています。

     
▼下山鑑定 クロマトグラム 写真


 2016年8月22日、狭山弁護団は、デンマテリアル㈱色材科学研究所在籍、下山進博士による「荏原鑑定の精査と検証」と題する鑑定書を提出しました。

 

 これが下山鑑定です。

 

 下山鑑定では、当時と同じインク(被害者が常用していたジェットブルーインク、発見万年筆に入っていたブルーブラックインク)と、微量のジェットブルーインクにブルーブラックインクを加えた混合インク、この3種のインクを使い、当時の荏原鑑定と同じペーパークロマトグラフィー検査で検証を行ないました。

 

 この結果、微量にジェットブルーインクがインク溜めに残留した万年筆にインク補充を行なった場合には、微量に混在するジェットブルーインクの痕跡(色斑)が現れることを確かめました。

 

 つまり、荏原鑑定で行なわれた発見万年筆インクのペーパークロマトグラフィー検査では、被害者が常用していたジェットブルーインクの痕跡が現れていないということです。

 

 もしも、発見万年筆にインクが補充されていたならば、荏原鑑定の検査で、その痕跡が現れていたはずなのです。ところが、荏原第1鑑定、荏原第2鑑定、このどちらにおいてもジェットブルーインクの痕跡はまったく現れていません。

 

 発見万年筆に被害者の常用していたジェットブルーインクがまったく入っておらず、ブルーブラックインクしか入っていなかったことを下山鑑定は明らかにしたのです。

 

 再審棄却の理由とされたインク補充説では「インクが補充された可能性がある以上、発見万年筆が被害者の万年筆ではない疑いがあるとはいえない」としています。

 

 この下山鑑定によって、微量でもインクが混ざっていれば、二つのインクの痕跡が必ず現れるということが証明されたので、インクが補充されたということはありえないのです。

 

 下山鑑定はインク補充説を根底から覆す新証拠となりました。

 

 再審棄却の理由とされたインク補充説は下山鑑定によって完全に崩壊したのです。

     
▼下山鑑定 二つのインクの痕跡 写真


 下山鑑定で重要となるのは、「インクに別のインクを足した場合は微量であっても、二つのインクの痕跡が必ず検出される」という点です。

 

 発見万年筆にインクが補充された可能性があることを理由に裁判所は再審請求を棄却してきましたが、そのインク補充説が成り立つためには、ジェットブルーインクとブルーブラックインク、この二つのインクの痕跡が発見万年筆のインクから現れていなければならないということです。

 

 事件当時に発見万年筆のインクを鑑定した荏原鑑定のクロマトグラムからは、被害者が常用していたジェットブルーインクの痕跡は一切なく、ブルーブラックインクの痕跡のみが現れていました。

 

 裁判所が言うように発見万年筆にインクが補充されていたのならば、元々入っていたはずのジェットブルーインクの痕跡が現れなければおかしいのです。

 

 しかし、荏原鑑定のクロマトグラムにその痕跡は全く現れていませんでした。

 

 つまり、発見万年筆の中に入っていたインクはブルーブラックインクのみだったということが分かります。

   

 狭山事件は部落差別に基づく冤罪事件であり、絶対に勝利しなくてはならない闘いです。

 

 このページで説明した下山鑑定において最も重要なポイントは「インクに別のインクを足した場合は微量であっても、二つのインクの痕跡が必ず検出される」という点。

 

 もしも、発見万年筆にインクが補充されていた場合には、その痕跡が無ければおかしいということになります。

 

 しかし、荏原鑑定のペーパークロマトグラフィー検査では発見万年筆にインクが補充された痕跡は全く現れていません。

 

 これにより、裁判所が再審棄却の理由としてきた「インク補充説」は絶対にありえないということが証明されたのです。

 

 石川さんの無実を証明する新証拠である下山鑑定を広め、数々の新証拠の事実調べや鑑定人の尋問などを裁判所に求めていき、再審開始を実現し無罪を勝ち取るためにも、大きな世論を巻き起こしていきましょう。

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