取り調べ録音テープが
明らかにした、石川さんの無実

『虚偽自白はこうしてつくられる
 狭山事件・取調べ録音テープの 心理学的分析』
(浜田寿美男著 現代人文社)を読む ②


島谷直子 元狭山事件再審弁護団事務局員


 前回に引き続き、本書の内容を紹介します。
 浜田さんは、石川さんの取調べ録音テープを、5つの着眼点にもとづいて分析しています。

着眼点1 取調官が石川さんを取り調べる過程で、石川さんの無実の可能性を念頭において質問するような場面があったかどうか。
着眼点2 三人犯行自白に転落する場面、単独犯行自白に転落する場面が録音テープにどのように収録されているか、そこでの取調官と石川さんとのやりとりに虚偽自白を招くような人間関係が見られなかったかどうか。
着眼点3 石川さんが自白内容を展開していくときの取調官とのやりとりのなかに、「秘密の暴露」「無知の暴露」があるかどうか、また重要部分での供述変遷がある場合、その変遷の理由が納得できるかたちで語られているかどうか。
着眼点4 石川さんと取調官とのやりとりのなかに、自分のことを「犯人と信じる」人を前にして、自らの想像で「犯人を演じる」という「自白的関係」が見られなかったかどうか。
着眼点5 石川さんが自白撤回後に、自らの自白過程について述べた弁解供述のなかに、真犯人が「冤罪を演じる」語りと考えられるものがあるか、また無実の人が「冤罪体験を語る」語りと言わざるをえないものがあるか。

 ここでは、着眼点3の「無知の暴露」というキーワードに示される、「冤罪」を判断するうえで、もっとも重要な視点について、本書の要点を紹介したいと思います。

 取調官の疑問と石川さんの困惑が露呈
 取調べ録音テープの以下のやり取りを読んでください。
 被害者の死体を農道に埋めた時点と、死体を芋穴に隠した理由について、取調官が質問しています。
 この少し前のやり取りで、取調官から「この木の下で考えているときに、埋めることを考えた訳?」と質問され、石川さんは「そうじゃねえんだ」「縄あって、正枝ちゃんを下ろしちゃってからなんだよね。」と答えています(被害者の名前は仮名)。
 被害者の死体のうえに荒縄が置かれてあったのは事実ですが、「下ろしちゃってから・・」埋めることを考えたというのは、人間の行動としてつじつまがあいません。なぜなら、死体を隠すのが目的で逆さづりにしたというなら、そのまま芋穴に隠しておけばいいからです。わざわざ死体を引き上げて、埋める必要(合理的理由)がありません。
 そこで取調官は、石川さんに疑問をぶつけます。

遠藤:だからさ、要するに、このー、穴ん中へ、えー、入れちゃったならば、別に埋めなくってもよかったんじゃないかと。
警1:うん。
遠藤:こう聞かれてんだ。それをどういう訳で、なんだな、埋めることになったんだと。
警1:うん。
遠藤:そういう、ま、話だ。
石川:だから、穴ん中置いといちゃまずいから。
警1:うん。
石川:また埋めることになったんだよね。
警1:うん。だから、それを、その、考えたのは、どこで考えたかというんだ。埋めようということを考えたのは。
石川:埋めようと考えたの は、行きながらなんだよね。
警1:行きながらって?
石川:あのー、手紙届け行きながら。

 取調官が納得してくれないので、石川さんは、「手紙(を)届け(に)行きながら」と答えを変えます。手紙というのは脅迫状のことですが、「脅迫状を届けに行く時に死体を埋めることを考えた」というのは、さらに意味不明で不合理な答えです。
 ここには、ごく自然に、石川さんの「無知の暴露」が表れています。石川さんは、実際に犯行を行った犯人でないために、殺害後の一連の行動の意味が説明できないのです。こういった「無知の暴露」が、取調べ録音テープのいたるところに表れています。

 「無知の暴露」は冤罪の証明
 刑事裁判では、取調官が把握していない証拠や状況について、示唆も誘導もしないのに、被疑者が供述し、それが後の捜査で客観的な証拠などと合致することが判明する場合、これを「秘密の暴露」といいます。自白にこの「秘密の暴露」があることが証明されれば、真犯人の自白であると判断できます。
 これに対して、真犯人であれば当然に知っていることに対して無知であることが暴露されれば(「無知の暴露」)、無実の人間の自白であると判断できるのです。
 浜田さんは、石川さんの取調べ録音テープには、「『無知の暴露』ばかりがいくつも見いだされ・・・『秘密の暴露』は皆無と言わざるをえない」と結論づけています。

 自白調書の作成過程が明らかに
 長時間の取調べを経て、最終的に、石川さんの自白は、以下のように作成されました。

 私はこのあなぐらのそばへ正枝さんを運ぶ前から正枝さんの身体を土の中へ埋めてしまって人にみつからないようにしようと考えて居りました。そのことを考えたのは正枝さんを殺して夕方までどうしようかと考えていたときです。
 それで私はそこから縄を探しに行きました。これは正枝さんを縄でしばって穴の中に下げておいて、こんど出すときにその縄をひっぱれば引きあげられるようにするため、正枝ちゃんを下げておく縄を探しに行ったのです。

 当初、石川さんは、死体を芋穴に吊り下げたあとに埋めようと思った、と答えていました。そのことが隠蔽されて、別の犯行ストーリーになってています。
 裁判所が「合理性がある」と認める自白調書が、取調官によって「でっち上げ」られていくという典型が、以下のやり取りにも示されています。

警1:何のために穴蔵へ入れて
警2:うん。
警1:紐で吊っといたかということなんだ。
警2:そう、そうなんだ。
遠藤:だから、何のために結局、穴蔵の中へ紐で吊ったと?
警1:うん。そういうことだ。
遠藤:***
警1:そうだ。
遠藤:そいで、何のために今度は、なんだね、引っ張り出して、穴、埋めんべということになったかと。
警1:いやいや。
警2:***
警1:何のために、このね下げといたか。
警2:こういう訳だ、な。
遠藤:下げたことだ。
警1:うん。
石川:いや、埋め、埋めんべと思ったです。
警2:うん。ほかへな。
警1:***だからな。
警2:いやいやいや。
警1:埋めんべと思ったのは、その、下げる前に考えたんじゃないかちゅうんだよ。
石川:そうだよね。
警1:なあ。
石川:そりゃそうです。
警1:そうか。どこで考えたんだろうかと。
石川:それは、おんなじとこです。 <
br>警2:ああ、ここか?
遠藤:***よーく、なんだ、あの、考えて、それは。
石川:うん。
警1:じゃあないと、理屈が合わないからな。
遠藤:合わない。
警1:うん。
遠藤:ねえ。
警2:一時はここへ置いて、あとで***こういう訳で、あそこ置いたと。
石川:うん。そうです。
警2:な。こういう訳だな。
石川:ええ。
(***は、聞き取れない箇所)

 取調官が勝手に言い合いをし、石川さんは、ほとんどなにも答えていません。しかし、取調官に「な。こういう訳だな。」と言われて、石川さんは「ええ。」と認めます。
 浜田さんは、取調べ録音テープの分析から、「非体験者である取調官と、同じく非体験者でありながら体験者と思われてしまった被疑者とが、自分たちが実際には体験していない出来事について、手持ちの事件情報・捜査情報によりながら、ああでもないこうでもないと論じ合うという不思議なやりとりが交わされることになる。この構図の下では、取調官も被疑者も事件の非体験者であるがゆえに、残された客観的な証拠や情報を手がかりにしてたがいに推測を巡らし、その証拠・情報におおよそ合致する犯行筋書を描くことはできるが、一方で事件のことを知らないことが露呈してしまうような『無知の暴露』がおのずと登場することにもなる。」と指摘しています。

 「取調べの圧力」に屈する
 従来の裁判所の任意性判断(自白が任意になされたものか)は、「強制、拷問、脅迫」があったかどうかだけの視点しかありません。しかし、取調べ録音テープのやり取りをみると、露骨な「強制、拷問、脅迫」がなくても、「取調べの圧力」に屈する過程が、よくわかります。言い方を変えると、「取調べ下の心理的圧力」という視点にたいする理解がなされなければ、虚偽自白を見破ることはできません。浜田さんは、従来の裁判所の判断は、「無実の被疑者が虚偽自白に落ちていく心理的現実を十分に配慮したことにはならない」と指摘しています。
「心理的圧力」について、浜田さんは、以下のように述べています。
 「無実の被疑者が身柄を押さえられて取調べを受けるときの心理的圧力は、一般に人が想像するよりもはるかに重く、その一方で、自白によって予想される刑罰は将来の可能性にすぎないし、しかも無実の被疑者にはその現実感がなく、これが歯止めにならない。それゆえ、無実の被疑者であっても、善意で自白を迫ってくる取調官との緊張に耐えられず、むしろ融和的な人間関係を結ぶ中で、それまでの否認からカタンと自白に転じてしまう。その心理はむしろ自然だとさえ言える。」と、指摘しています。
 本書での浜田さんの指摘は、私たちが、石川さんの無実を訴えるうえで、きわめて豊富な示唆を与えてくれます。
 石川さんは、一審で、「死刑になるかも知れない重大犯罪であることを認識しながら自白していることが窺われ、特段の事情なき限り措信し得るべきものというべき」として死刑判決を受けました。こんな安易で杜撰な判断が許されていいはずはありません。
 「5つ着眼点」にもとづく分析について、ぜひ、本書を読んで理解を深めてください。   (完)

 ②