取り調べ録音テープが
明らかにした、石川さんの無実

『虚偽自白はこうしてつくられる
 狭山事件・取調べ録音テープの 心理学的分析』
(浜田寿美男著 現代人文社)を読む ①


島谷直子 元狭山事件再審弁護団事務局員


 本書は、2014年5月7日付で東京高等裁判所に提出された鑑定書(鑑定書のタイトルは、「狭山事件・請求人取調べ録音テープの心理学的分析ー録音テープは請求人の真犯人性を表しているのか、それとも請求人の無実性を表しているのかー」)に加筆し、鑑定書を丸ごと一書にしたものです。ですから、本書を読めば、鑑定書の内容がすべてわかります。
 浜田寿美男さんは、供述分析という専門分野を切り開き、日本の刑事裁判に定着させてきた心理学者です。狭山事件のほかにも、甲山事件、野田事件、袴田事件、東住吉事件、名張毒ぶどう酒事件、布川事件、日野町事件、氷見事件など、多くの冤罪事件の供述分析を手がけてきました。狭山事件では、第2次再審請求審の1986年に、意見書『自白供述の心理学的分析ーーとりわけその供述変遷に着目して』を、東京高裁に提出しています。この意見書は、石川さんの自白調書75通を分析したものです。
 本書で紹介されている鑑定書は、2010年5月13日に、第3次再審請求審のなかで証拠開示された、15時間あまりにわたる取調べ録音テープを分析したもので、自白調書の作成過程が明瞭に浮かび上がるのと同時に、虚偽自白のデッチあげ過程が明らかにされている点で、画期的な意味を持っています。
 私が、この紙面で紹介する内容は、本書のエッセンスや要点にとどまります。冤罪を捉えるということは、石川さんの無実を理解することですが、同時に、どのように不当なデッチあげが行われたかを知ることが重要ですから、ぜひ、本書を読んで、密室という取調室で、石川さんが、どのようにして、冤罪に陥れられたのか、その真相を知ってください。

 開示された取調べ録音テープ
 証拠開示された取調べ録音テープは、15時間あまりのものです。
 録音されているのは、6月20日から25日までの、6月22日を除く5日間です(加えて否認期のものが一部含まれています)。連日続く長時間取調べの、ごくわずかの時間にすぎません。そして、この録音には、肝心要(かなめ)の部分が存在しません。否認から三人犯行自白への転換、三人犯行自白から単独犯行自白への転換、単独犯行自白になってからの、脅迫状を書いた時期などの大変遷について、変更の瞬間が、開示された録音テープには収録されていません。
 単独犯行自白に転換した当初、石川さんは「脅迫状を殺害後に書いた」と自白していましたが、その後、「あらかじめ準備していた」という自白に変遷をします。このことは、犯行動機が、「性的動機」から「金銭動機」に変遷したことを意味しています。その取調べ場面の録音が存在しません。
 6月22日については全日、23日については夜の8時半までほぼ1日の録音が存在しておらず、存在する録音も、長い取調べの、ごく一部分ですから、きわめて恣意的な証拠といえます。
 しかし、そういった問題はあるにしても、15時間あまりの録音テープは、密室の中での取調べ状況が明らかにされたということでは、大きな意味を持っています。

 「刑事裁判における供述判断」と「心理学による供述分析」との違い
 浜田さんは、これまでに手がけた多くの冤罪事件の供述分析をとおして、「虚偽自白が疑われる場合、その心理にはそうとうに特異なところがあって、従来の裁判所による任意性・信用性の検討ではその問題性を把握しきれないことが、現実問題として少なくない」ことを指摘しています。
 狭山事件のように、冤罪(無実)を主張している事件では、有罪・無罪の犯人性が争われていますから、「自白は真犯人の自白なのか」、それとも「自白は無実の人の虚偽自白なのか」ということが問題になります。
 しかし、これまで、裁判所の判断は、石川さんの自白過程について、多くの「変遷・変動・矛盾・欠落はある」ものの、全体として、真犯人の自白と考えてかまわないと結論づけています。浜田さんは、そういった判断の背景には、「検証枠組み」の違いが存在していると、指摘しています。
 心理学的分析においては、「自白は真犯人の自白なのか」という仮説(仮説A)と「自白は無実の人の虚偽自白なのか」という仮説(仮説B)の、両方の対立仮説を対照させた「両面的検証」を基本にするのに対して、裁判所の判断は、有罪仮説の立証に焦点をおいた片面的検証(「自白は真犯人の自白なのか」のみ)だけであって、無実仮説を正面から取り上げて、分析・検討する枠組みを採っていないという、大きな問題が存在しているのです。
 さらに、浜田さんは、心理学的分析の検証枠組においては、有罪を想定する仮説Aと無実を想定する仮説Bとを対等に並べて、そのどちらがよりよく石川さんの自白過程を説明するかという議論の構図に立つため、そのさいには、「真犯人の自白過程は常識的に問題なく理解が可能でも、無実の人の虚偽自白過程にはそうとう特異な要因が含まれるために、これを積極的に取り上げて検討し、その心理学的な特徴を捉えておかなければ、両者の正確な判別はできない」ことを指摘しています。
 裁判所が、証拠として提出された自白調書について、「重罪事件で無実の人が嘘で自白するなどということはまずないはずだ」という目で見てしまえば、判断が、安易に有罪に傾いてしまいます。「虚偽自白を知ることなく虚偽自白を見抜くことはできない」ということです。
 以上のことを、浜田さんは、金属の「金」にたとえて、以下のように説明しています。
 「キラキラと光る金属を見て、それが金なのか、それとも金まがいの偽物なのかを見分けようと思えば、ほんものの金がどのような物理化学的性質を持っているのか、金に間違われやすい金属にどのようなものがあって、それが金とどう違うのかを知っておかなければならない。・・・(裁判所の判断は)金の物理化学的性質を正確に知らないまま、キラキラ光っているから金に違いないと判断するようなものである。」と、批判しています。

 取調官が石川さんを取り調べる過程で、石川さんの無実の可能性を念頭において質問するような場面があったかどうか(着眼点1)
 浜田さんは、取調べ録音テープを5つの着眼点にもとづいて分析しました。着眼点1について、簡単に紹介します。
 以下は、否認期の取調べテープの一部です。石川さんは、5月23日に、いくつかの別件とあわせて恐喝未遂容疑(脅迫状作成)で逮捕されました。その後の取調べで、石川さんは、脅迫状を書いたことを追及されますが、「字をよくかけないし読めません」からそんなことはできないと否認しています。しかし、容赦ない取調べが続きます。その様子の一端です。

遠藤:な。いわゆる、私はそういうふうに言ったんだけどもさ。ねえ、それで、いずれにしても、書いた部分だけは、石川君に、なんだな、納得がつかなくちゃな。
警1:俺が書いたんだと。
遠藤:ねえ。***その書いたものは、こういう、訳だったという、簡単なのでも、その訳がなくちゃなんねえ。その訳だけ***話してくれれば、私はそれでいいんだ。後は、まあ、なんだな、聞かんでもらいたいなら聞かんでもらいたいで結構だけれども、まあ、できれば、ずっとこう訳を話してもらうのがいいんだけど。
警2:***
遠藤:***
警2:***いろいろな面があるんだろうからね。
遠藤:あるだろうから。だから、私は、石川君にはねえ、もう書いた、書かないというんじゃねえんだと。これは、石川君が書いたことについては、これは間違いねえことなんで、書いた、書かないを、今論議する時じゃねえんだと。ね。どういう訳で、結局、それを書いたんだということを、***いう話しだ。
(「遠藤」は取調官の名前、「警1」「警2」は別の警察官、「***」は聞き取れない箇所)
 さらに、遠藤の「どういう訳で書かれたんだということを、結局話してもらいたい。どうだ石川君? ***石川君? あ?」と聞かれて、石川さんは、「わかんねえよ。***わかんねえよ。」「わかんねえ。***」としか答えられません。
遠藤:それで、なんだよ、ほれ、そこの部分だけは、これはもう何遍も言うけんども、石川君が書いたとか、書かないとかなんてことは、問題じゃない、そんなものは。もう書いたことは、これはっきりしてるんだ。」
警1:うん。
遠藤:ねえ。これは私らが、石川君がこうやって書いているところ見ていた訳じゃねえけれども、これはもう、書いたことについては間違えっこねえんだよ。ねえ。ただ、どういう訳だとういうことだけを、なんだな、***を話してもらいたいと。しかし、さっきも言うように、茶碗どこにやったという話じゃねえんだから。***石川君。な。どうだ、石川君?
石川:おんなじですよ。
遠藤:ん?
石川:いくら聞かれてもおんなじ。
 取調官は、「石川君に供述義務ってものがある」とまでいい、「証拠なき確信」をもって、石川さんを追い詰めます。無罪推定が、まったくなされていない実態が、よくわかると思います。
 次回は、「証拠なき確信」の危険性、および着眼点2~5の内容を紹介します。 (つづく)

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