狭山事件で唯一真犯人とつながる物証は、犯行当日(1963年5月1日)に何者かによって被害者宅に届けられた脅迫状しかありません。この脅迫状について、今回極めて重要な新事実が明らかになりました。
新事実を指摘したのは、元栃木県警鑑識課員で鑑定24年のプロである斎藤保・指紋鑑定士です。斎藤指紋鑑定士は脅迫状の封筒にかかれていた宛名(被害者の父の名前)がいつ書かれたのかについて、実に重大な新事実を指摘しました。
宛名は犯行前に書かれたもの
有罪判決では、「脅迫状封筒の宛名は、犯行後に被害者から奪った万年筆で被告が書いたものである」とされていました。これは、(1)石川さんがそのように自白していること、(2)犯行前に石川さん周辺に万年筆がなかったこと、(3)石川さんは犯行前に被害者やその家族のことを全く知らなかったこと、(4)石川さんが逮捕された後に石川さんの自白にもとづいて「被害者のものと思われる万年筆」が石川さん宅から発見された(※この万年筆の発見過程は極めて怪しい)、ということから導き出された結論でした。したがって「宛名が犯行前に書かれることは絶対にあり得ない。なぜなら石川さんが犯人である限りそれは不可能であるから」と(判決の論理で言えば)なります。
斎藤さんは、今回、脅迫状の宛名は万年筆で犯行前に書かれたものであることを明らかにしました。その詳細は、(1)封筒をよく観察すると、万年筆で書かれた宛名に水で濡れてにじんだ痕跡が存在する。(2)一方、同封筒からは被害者の兄と警察官の指紋が検出されている。(3)水に濡れた紙から指紋を検出することは不可能だから、封筒が水に濡れたのは事件前であり、事件の時点では既に乾いていなくてはならない。よって、宛名は事件前に何者かによって万年筆で書かれ、何らかの理由で事件前に水に濡れて滲みが生じ、それが乾いた後に被害者宅に届けられたとしか考えられない。というものです。
水濡れの痕跡は実物を見たら誰にでも分かることですし、被害者の兄と警察官の指紋が検出されているのも客観的な事実ですから、これは論議のおこりようのない動かぬ証拠です。先に述べたように、もしも判決が正しくて石川さんが犯人ならば、石川さんが犯行前に宛名を書けるわけがないのに、実際は宛名は犯行前に書かれているのです。
今回の斎藤さんの新証拠には、もう一つ大きな意味があります。それは真犯人が万年筆で犯行前に被害者の父親の名前を書ける人物、被害者を知っている人物であるということです。
斎藤鑑定士はこの他にも、脅迫状から石川さんの指紋が一つも見つかっていないことは「自白内容からしてあり得ないこと」と指摘しています。(ちなみに、脅迫状の筆跡と石川さんの筆跡が異なることは、最近になって裁判所も認めるようになっています)