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狭山事件-最新情報

            

《異議申し立て棄却決定の概要と問題点》

斎藤鑑定をめぐって

           

 2002年1月23日に東京高裁刑事第5部(高橋省吾裁判長)は、狭山事件について石川さんと弁護団の「異議申し立て」を棄却しました。棄却決定文は全90ページ86,000字におよぶものです。
 高橋省吾裁判長はこの棄却決定の中で、弁護側が提出した新証拠を「再審請求を棄却した高木決定を否定するほど決定的なものではない」として全て退けました。しかしこれはいたずらに文字数を費やしただけで、ほとんど真剣な検討をしないままに出された結論であるといわざるを得ません。
 争点となってきた新証拠とそれに対する棄却決定の論理を、本ページで随時紹介していきます。

    

1.脅迫状封筒宛名は、何で書かれたか

     

《原判決およびこれまでの認定》

 狭山事件で唯一真犯人とつながる物証・脅迫状封筒の宛名は、被告が犯行前自宅でまず「少時様」と書き、犯行後に、被害者から奪った万年筆で、「少時」を訂正線で消した上で、「中田江さく」と書き加えた。したがって訂正線で消された「少時」と「様」はポールペンで書いたものであり、訂正線と「中田江さく」は万年筆である

《弁護側の提出した新証拠―斎藤鑑定》

 脅迫状封筒は指紋鑑定のためにニンヒドリンアセトン溶液(指紋検出に使われる薬品)に浸されている。ニンヒドリンアセトン溶液はボールペンインクを溶かす性質があり、一方万年筆インクはこれに溶けない性質がある。脅迫状封筒の現状をみれば、ニンヒドリンアセトン溶液に融解しているのは「様」だけであって、「少時」も「中田江さく」も溶解していない。したがって、ボールペンによって書かれたのは、「様」だけであり、訂正された「少時」も「中田江さく」もその筆記具は万年筆である
 先の棄却決定(99年高木決定)において高木裁判長は、「現況では『少時』は消えて見えなくなっており、『様』はにじんで判読しにくくなっている。両方とも『消え』たり『流れたり』しているのだから、これはいずれもニンヒドリンアセトン溶液の作用であり、したがって両方ともボールペンで書かれていることに違いはない。消え方に差があるのは、溶液のかかり具合に違いがあったからだ(と推論できる)」と述べているが、これはあたらない。
 指紋検出時にニンヒドリンアセトン溶液を使う場合、検体は全て完全に溶液に浸すのであって、溶液のかかり具合に差が出ることはない(そもそもそれでは指紋検出ができない)。「少時」が消えてしまっているのは、ニンヒドリンアセトンの作用ではなく、インク消しの作用によるものである。その証拠として、「少時」の背後から一度万年筆によって書かれた上で消された文字「抹消文字」(右写真説明では「筆圧痕」)が多数発見されている。これらの「抹消文字」を消す際に使用されたインク消しの作用によって、現在では「少時」は消えてしまったのである。様々な検査をおこなった後に撮影された封筒のカラー写真にも「少時」は消えないで写っている。よって「高木決定」は明らかに誤りを犯している。

《今回の棄却決定》

 高木決定に誤りはない。当時の警察の鑑識報告(文書)にも、「『少時様』の文字が指紋検出時の溶液の作用で消滅した」との記述がある。「少時」と「様」の現況における違いは、高木決定の指摘通りニンヒドリンアセトン溶液のかかり具合の差によって、溶解の程度に差が出たものである。

《今回の棄却決定の問題点》

(1)「少時」と「様」の現状は、上の写真を見ての通りであり、この差が「溶液のかかり具合に過ぎない」というのは明らかな誤りです。
(2)警察で指紋鑑定の専門家として20年以上のキャリアを持つ斎藤鑑定人が指摘する「ニンヒドリンアセトン溶液を使う場合、検体は全て完全に溶液に浸すのであって、溶液のかかり具合に差が出ることはない(そもそもそれでは指紋検出ができない)」という指摘について、全く検討もしていません。なぜ検討もしないのでしょうか?
(3)警察の鑑識報告(文書)通りなら、「少時」も「様」も消えてなくなっていなくてはならないのに、現状は写真の通り「少時」だけが消え、「様」は溶液に融解して残存しています。
(4)全ての検査後に撮影された封筒のカラー写真に「少時」は消えないで写っている事実はどうするのでしょうか?
(5)下の写真を見てください。これは問題の封筒実物の全体写真です。書かれている文字のうち「少時」と「様」が同じボールペン、「中田江さく」だけが万年筆とする裁判所の判断と、「少時」と「中田江さく」が同じ万年筆、「様」だけがボールペンとする弁護側の主張と、貴方はどちらが正しいと感じるでしょうか?!

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2.脅迫状封筒宛名は誰が書いたか―事件の真相から目を背ける決定

     

 斎藤鑑定は、さらに重大な事実を指摘していました。それは事件の真犯人にせまる重大な指摘でした。

《有罪判決が認定する脅迫状作成手順》

 1で紹介したように、有罪判決では、「脅迫状封筒の下部宛名『中田江さく』は、犯行後に被害者から奪った万年筆で被告が書いたもの」とされていました。
 これは、(1)犯行前に石川さん周辺に万年筆がなかったこと、(2)石川さんは犯行前に被害者やその家族のことを全く知らなかったこと、(3)石川さんが逮捕された後に石川さんの自白にもとづいて「被害者のものと思われる万年筆」が石川さん宅から発見された(※この万年筆の発見過程は極めて怪しい)、ということから導き出された結論でした。
 したがって判決の論理で言えば、「宛名『中田江さく』が犯行前に書かれることは絶対にあり得ない。なぜなら石川さんが犯人である限りそれは不可能であるから」となります。

《斎藤鑑定の指摘する事実》

 1で触れたように斎藤鑑定は、脅迫状の宛名は万年筆で犯行前に書かれたものであることを明らかにしました。
 その根拠は1で指摘したインクの問題だけではありませんでした。(1)封筒をよく観察すると、万年筆で書かれた宛名「中田江さく」に水で濡れてにじんだ痕跡が存在する。(2)一方、同封筒からは被害者の兄と警察官の指紋が検出されている。(3)水に濡れた紙から指紋を検出することは不可だから、封筒が水に濡れたのは事件前であり、事件の時点では既に乾いていなくてはならない。よって、宛名「中田江さく」は事件前に何者かによって万年筆で書かれ、何らかの理由で事件前に水に濡れて滲みが生じ、それが乾いた後に被害者宅に届けられたとしか考えられない。というものです。
 先に述べたように、もしも判決が正しくて石川さんが犯人ならば、石川さんが犯行前に下部宛名を書けるわけがないのに、実際には下部宛名は犯行前に書かれていた。
 つまり狭山事件の真犯人は、万年筆で犯行前に被害者の父親の名前を書ける人物、被害者を知っている人物であるということです。

《今回の棄却決定》

 斎藤鑑定書の指摘は、第1鑑定書においては全く触れておらず異議審になって初めて出された。だから根拠が薄弱である。斎藤鑑定の基本的資料は、写真を弁護団が複写したモノクロネガフィルムから、原寸大に焼き付けたものであり、そこまで判定可能かすこぶる疑問。
 封筒表裏の「中田江さく」の文字が滲んだ状態にあり,外側から水がしみ込んで濡れたものと認められ,他方,事件当日発見された脅迫状と封筒は翌日指紋検査がなされ,関係者の指紋が検出されているが,水に濡れた紙からは指紋の検出は不可能であるから,脅迫状と封筒は濡れていなかったことが認められるところ,その結果としていえることは,封筒の表側と裏側に書かれていた「中田江さく」は,犯行前に既に書いてあったということである,と鑑定しているが,その結論のみならず,そこに至る事実認識においても,独断に過ぎ,十分な論証に欠ける嫌いがあるといわざるを得ない
 要するに、齋藤鑑定書の指摘は、一つの推測の域を出ないものというほかはない。

《棄却決定の問題》

(1)「異議審になって初めて出された。だから根拠が薄弱」とはどういうことなのでしょうか、それがなぜ理由になるのでしょうか。(「異議審で突然こんな決定的な証拠を出すなんて、弁護団は卑怯だ」とでも言いたいのでしょうか)
(2)同様に「写真だから、判定可能かすこぶる疑問」とはどういう意味なのでしょうか? 裁判長は、実物を取り寄せて見ることもせずにこの決定を書いたのでしょうか?!
(3)これを「独断に過ぎ,十分な論証に欠ける嫌いがある」「一つの推測の域を出ない」と言うのなら、他の事件も含めて全ての検察側の鑑定は、「独断に過ぎ,十分な論証に欠ける嫌いがある」「一つの推測の域を出ない」ものと言わなくてはなりません。斎藤さんは、24年間もっぱら検察・警察側証人として、「このやり方で、このように」事実を証明してきました。そして日本の裁判所はずーっとそれを「事実に間違いない」と認定して有罪判決を書いてきたのです。それが弁護側の証拠になったとたん、「独断」や「一つの推論」になってしまうのでは、科学的な裁判などということは存在しません。裁判官は素人であり、斎藤鑑定人は検察側にも弁護側にも認められたこの道のプロです。

 客観的事実すら認めないのでは、もはや裁判の名に値しないと言わなくてはなりません。

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