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狭山事件-最新情報

            

えん罪被告はなぜ自白してしまったのか?

浜田寿美男さん(花園大教授、『自白の心理学』著者)講演会

          

 11月15日17時30分から、江東区の江東区総合区民センターで、浜田寿美男さん(心理学者、花園大学教授、岩波新書『自白の心理学』著者)をまねいて、狭山事件につての講演・討論会をおこないました。この研究会は、部落解放第33回東京都研究集会の分科会としてひらかれたものです。当日は35人が参加しました。

無実でも自白してしまう現実

 講演・討論会のメインは、浜田さんの講演「えん罪被告はなぜ自白してしまったのか?」でした。
 「いくら逮捕されたからといって、やってもいない犯罪を自分から『やりました』という人はいないのではないか」「死刑になるかもしれないのに、自分に不利な『うそ』を言うはずはないのではないか」「自白した人間はやっぱりあやしいのではないか」という常識が世の中にはあります。しかし一方で、日本の過去のえん罪事件のほとんど全てに自白があり、「やってもいない人間が自白してしまっている」。なぜこのようなことがおこるのか、浜田さんは、「逮捕された瞬間、被疑者は一般常識から完全に切り離された特別な空間に身を置くことになる」事実をまず指摘します。
 日本の刑事訴訟法は、逮捕されれた被疑者の身柄を、最大23日間捜査当局が拘束できると規定しています。その間被疑者が取調官との間とだけしか関係を持つことができません。しかもえん罪事件の場合、警察は「別件逮捕」で身柄拘束をおこなう場合が多く、そのため23日間で拘束が終わる保障はどこにもありません。次々に別件での再逮捕を繰り返され、半年でも1年でも身柄の拘束ができる仕組みになっています。
 逮捕されている期間中、被疑者は家族や弁護士との面会も自由にできません。黙秘権は一応認められていますが、「取り調べを拒否する権利」は認められていませんから、一日何十時間もの密室での取り調べを毎日休みなく受け続けなくてはなりません。それに第一、無実の人間が黙秘権を行使しようと考えることの方が難しい。なぜなら自分は無実であり警察は間違いを犯しているのだから、「よく説明すれば間違いに気づいてもらえる」と考えるのが普通だからです。よっぽどのことがない限り、無罪の被疑者であればあるほど、積極的に取り調べに応じ供述することになります。
 ところが、逮捕した以上取調官は被疑者の説明を「言い逃れ」としか考えない。警察学校等で実際に使用されている取り調べの教本を調べてみると、「取調官は有罪の確信を持って(被疑者を)取り調べること」と明記されており、警察官はみなそのような教育を受けています。アリバイでも証明できれば別ですが、はじめから「被疑者は有罪だ」「被疑者の否認は全て言い逃れだ」と確信している人間たちを、たった一人で、しかも言葉だけで説得することがはたしてできるでしょうか?
 浜田さんは、数々のえん罪事件の取り調べの実態について、警察側が作った調書等をもとにして分析し、上記のように指摘されました。

遠くにある死刑の恐怖よりも自白による身近な精神的解放を選ぶ

 浜田さんは、「一見任意性のある自白」がえん罪事件の自白に少なくない点を指摘し、これは心理学的には「遠くにある死刑の恐怖よりも、自白することによって身近な苦難から逃れられることを選ぶ」心理の結果だと分析されました。人間は「苦痛の絶対量としての強さ」より、むしろ「苦痛がいつまで続くか分からないという不確かさ」に耐えられない場合が多い。えん罪被告の多くは、突然身に覚えのない容疑で逮捕され「何度自分はやっていないと言っても信じてもらえない」、それどころか「おまえはうそをついている。被害者に対して申し訳ないと思わないのか」と強く反省を求められ続け、時として「泣き落とし」や「なだめすかし」のようなこともある。そのうえ、こんな厳しい取り調べがいつ終わるともしれない。
 実際に取り調べを受けている被疑者にとっては、「やってもいない犯罪を認めて死刑になる」のはずーっと先のことであり、その間には一応裁判もある。「今認めても、裁判で事実を言えば裁判所は理解してくれるはずだ」と「藁をもすがる思いで考えはじめる」。また「泣き落としたり、なだめすかしたり」してくれる警察官に、(厳しい取り調べを受けながら)ある種の親近感を抱くことすらある。他の人との接触が制限されているうえ、厳しい取り調べのあいまに「なあおまえ、もうすこし素直にならないか、おまえだって苦労してきたんだろ、なあ」等々「優しい言葉」もかけてくれるわけですから、だから被疑者は「この人の言うとおり、『やった』と言ってしまえば楽になる」という気分に陥りやすい。
 浜田さんは、えん罪事件の自白の中には、途中から「自ら積極的に犯人になろうと努力する」被疑者の供述すら見られることがあると指摘されました。

「自白」の過程に潜んでいる真実

 しかし一方で、「無実の人間の自白にはある特徴がある、そしてその特徴に着目すれば、逆に自白そのものが無実の証拠になる」とも指摘されました。
 現実の犯罪と自白を比べてみると、無実の人の自白には必ず矛盾がある。たとえ最終的にはつじつまがあっているように見えても(えん罪事件では、得てしてそのような例が多い)、自白の過程に大きな矛盾がある。例えば、「殺害を自白してしまっている犯人が、殺害方法を具体的に指摘できない。あるいは、殺害方法が確定するまでに二転三転する」「殺害を自白し、方法も自白しているのに、動機だけが二転三転する」「いったん自白しながら、取り調べが進む中で『分からないこと』にぶちあたると、自白を何度も翻そうとしたりする」、これがえん罪事件の自白の特徴であると述べられました。そして、まさに「狭山事件の自白」もそのような特徴を持った自白であること、狭山事件の場合、自白はむしろ無実の証明になっていると述べられました。

討論も活発に

 上記のような浜田さんの講演を受け、評論家の佐藤一さんを交えて具体的に「狭山事件の自白」について、そこにどのような特徴があるのか、どうしてこのような自白ができあがったのか、討論をしました。会場からも発言があり、活発な学習会となりました。
 残念ながら現在の日本の裁判では、自白についてかなり広く証拠として採用する方向が定着しています。「自白だけで有罪を言い渡してはならない」という刑法・刑事訴訟法の規定にもかかわらず、自白は未だに「証拠の王」です。しかし、事実を言えば、刑事事件の証拠として自白は極めて危ういものであり、それに「疑い」を持たないことが数々のえん罪を作りだしてしまっているとも言えるのです。そして、狭山事件もまさにそのような事件の一つだと言えます。(浜田さんの講演内容をはじめ、この報告は全て当ページ担当者の責任でまとめたものです)

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