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狭山事件-最新情報

            

脅迫状と石川さんの結びつきは断たれた

―齋藤第1・第2鑑定および小畠意見書で明らかになった事実―

    

狭山弁護団が脅迫状に関して重大な新証拠を提出

 狭山弁護団は、2000年末、石川さんの無実を示す新証拠として理学博士・小畠邦規さんの「意見書」を東京高等裁判所に提出しました。これは先に提出した新証拠「斎藤第1・第2鑑定」(鑑定人・元栃木県警本部刑事部鑑定課員斎藤保さん、第1鑑定は1999年6月、第2鑑定は2000年3月に提出)について、有機化学の専門家としてその正しさを立証したものです。
 「齋藤第1・第2鑑定」および「小畠意見書」によって、狭山事件の最大の物証である脅迫状と石川さんとのつながりは科学的に否定されました。これはきわめて重大な意味を持つものです。
 狭山事件の唯一確かな物証(間違いなく真犯人が残したと言える証拠)は、被害者宅に届けられた脅迫状です。この脅迫状について検察側は石川さんが書いたものであると主張し、それが石川さんを犯人と決めつける最大の根拠になってきました。
 これまで脅迫状については、石川さんがそれを書いたか書かなかったかが最大の争点となってきました。検察側は、捜査段階の筆跡鑑定を根拠に、この脅迫状は石川さんが書いたものであると主張してきました。一方弁護側は、数々の新たな筆跡鑑定を提出、個別文字の比較はもちろん文全体や用紙の使用方法にいたるまで精密に検証し、石川さんがこの脅迫状を書けなかったし書かなかったと主張してきました。裁判所は、確定判決以来検察側の主張を全面的に採用してきましたが、先だって第2次再審請求を棄却した「高木決定」では、「脅迫状の文字と石川さんが当時書いていた文字には違いがある。しかし、違いがあるからといってただちに別人物が書いたものとは言えない」という驚くべき論理を展開しました。
 このように脅迫状に対する疑問が大きくなっている中で(脅迫状には他にも、指紋検査の結果石川さんの指紋が発見れていないという疑問点もあります)、今回の鑑定および意見書は、脅迫状は石川さんが書いたものでないことを科学的な立場から立証したものになっています。脅迫状の封筒の宛名訂正箇所に着目し文字群を詳しく観察、ここの文字に使われているインクとその筆記用具等の状態を合理的に説明したもので、結果、従来裁判所が認定してきた脅迫状の作成過程が客観的事実とくい違うことを証明したのです。

《裁判所が認定した脅迫状の作成課程》
 有罪判決が認定した脅迫状の作成過程は次の通りです。
〈1〉犯行前、幼児誘拐を企てて自宅でボールペンを使って脅迫状を作成し、封筒に宛名を「少時様」と(やはりボールペンで)記入した。
〈2〉犯行(殺害)後、殺害現場において、被害者が持っていた万年筆を使って脅迫状封筒の宛名「少時様」を斜線で消し、被害者の父親の名前「中田江さく」を新たな宛名として(やはり万年筆で)その下方に記入した。
 つまり、この結果脅迫状封筒に書かれた文字のうち「少時様」はボールペン、それを消した斜線と「中田江さく」は万年筆で書かれたのだと。

◇新事実―1.「少時」は万年筆で書かれ、「様」はボールペンで書かれたものである

 事件発生前には、石川さん宅に万年筆やつけペンはありませんでした。石川さんがもしそれらを入手し得たとすれば、それは犯行をおこない被害者から取得した以外には考えられません。そのため、石川さんの逮捕後におこなわれた家宅捜索の結果石川さん宅から被害者のものとされる万年筆が発見されたことが、石川さんの容疑を裏付けるものとして大きな意味を持ちました。
 しかし、よく知られているようにこの家宅捜索で発見された万年筆には重大な疑問がありました。ここは万年筆問題を検証する場ではないので箇条書きにその疑問を書くにとどめますが、それは(1)一度目・二度目の家宅捜索で万年筆は発見されず三度目の捜索でようやく発見された。しかも三度目の捜索で万年筆が発見された場所は一度目・二度目の捜索の際に十分調べられた場所であることが捜査官の証言によって明らかになった(2)発見された万年筆に入っていたインクは被害者が使っていたものと違っていた(3)発見された万年筆の中にも外にも被害者や石川さんの指紋が発見されなかった(4)発見された万年筆が被害者のものとされる根拠は家族の一人が「似ている」と言っているだけで製造番号や保証書で確認されたわけではない、などいずれも重大な疑問です。
 さて、最初に述べたように事件発生前に石川さんの周囲に万年筆やつけペンは存在していませんでした(客観的事実、警察・検察・裁判所も認めている)。当然、石川さんの自白では、脅迫状作成に使った筆記用具は一貫してボールペンになっています。石川さんが犯人なら、犯行前に書かれていたはずの「少時」も「様」もボールペン以外で書かれるはずなわけです。
 ところが、弁護団が提出した新証拠・齋藤第1・第2鑑定、小畠意見書によると、脅迫状宛名のうちボールペンで書かれているとされていた「少時」が、実は万年筆によって書かれたものであることが判明したのです。

《齋藤第1・第2鑑定》
 ボールペンによる記載文字は有機溶剤であるアセトン(指紋検査のために使用される薬剤)によって溶解するが、万年筆インクは溶解しない(これは指紋検査の専門家にとっては常識である)。
 狭山事件の脅迫状封筒は、指紋検査のためにアセトン溶液に浸されているが、その結果、溶解しているのは「様」だけであって(アセトンによって一度溶解したインキが封筒面に再付着し、流れたような状態になっているのでいるのではっきりと分かる)、「少時」にも被害者の父親の名前にもインキの流失が見られない。従ってボールペンによって書かれているのは「様」のみである。

《小畠意見書》
 万年筆用のブルーブラックインキで書かれたものは、アセトンに対しても耐性を持つ。
 事件当時のボールペンインキは、油脂が主成分で、耐水性は強いが、油脂を溶かすアセトンに溶出しやすい。よって斎藤第1・第2鑑定の結論は正しい。

◇新事実―2.万年筆で書かれた「少時」が「中田江さく」と異なり消滅した理由は、インキ消しの薬品の影響によるものである

 脅迫状封筒に見られる宛名のうち「中田江さく」は現在でも残っているのに、「少時」は現段階ではほとんど消えて見えなくなっています。棄却決定(「高木決定」)では、この点を取り上げて、万年筆インキとボールペンインキのアセトン溶液(指紋検査用の薬剤)への反応の違いによるものとしました。(「少時様」がボールペンによって書かれたために、指紋検査の薬剤であるアセトン溶液に反応して消えてしまったという意味)

<第2次再審請求棄却決定(「高木決定」)>
 万年筆用ブルーブラックインキで書かれた「中田江さく」(被害者の父親の名前)が、現在でも読みとり可能であるのに対し、「少時」と「様」はボールペンで書かれたためアセトンに溶解して読みとり不可能。「少時」と「様」は別異の筆記用具で書かれたものではない。
 しかし、もしそうだとすると、同時にボールペンで書かれたはずの「様」がアセトン溶液に溶解してその色素が再付着しているのに(右図参照)、なぜ「少時」だけが(色素の再付着もほとんど見られないまでに)消えてしまったのか、その説明がつきません。裁判所は、これはアセトン溶液のかかり具合によって溶解差があったからだと説明しました。
  しかしそれは誤りでした。今回の鑑定書および意見書はそれを指摘し(新事実―4)、ではなぜこのようなこと(同じく万年筆等インクで書かれた「中田江さく」が残り「少時」だけが消えてしまった)がおこるのかを、次のように化学的に説明しました。

《齋藤第2鑑定》
 「少」の背景に20カ所、「時」の背景に48カ所の万年筆等ペンで書かれた文字の痕跡(後出「筆圧痕文字」)が存在する。「少時」の色素が消滅したのは、アセトンの作用ではなく、インキ消し薬液の浸透など他の要因ないしその相乗現象による。

《小畠意見書》
 「少時」部分に、万年筆もしくはつけペンによって書かれかつインキ消しの薬品により消去された多数の筆圧痕がある。封筒に残存していたインキ消しが、指紋検出時のニンヒドリン−アセトン処理もしくは続く過酸化水素処理の際に溶出して「少時」の退色を起こした。「中田江さく」の背景には筆圧痕はなく、インキ消しを用いていないため顕著な文字の消失は起こらなかった。
 こうして、齋藤第2鑑定と小畠意見書によって、「少時」がほぼ消滅しているのは、それがボールペンで書かれたものであるからではなく、インキ消しの薬品の影響であることが、抹消文字痕(「筆圧痕文字」)の存在と合わせて合理的に説明されました。

◇新事実―3.抹消された「筆圧痕文字」と訂正斜線は万年筆によって書かれたものである

 脅迫状封筒の訂正された宛名「少時」については、その部分を拡大して注意深く観察すると、その周辺に多数の「筆圧痕文字」(消された文字の跡と考えられる)が確認されます。これはいったい何なのか、なぜこのようなものがあるのか、自白では全く説明できません。これは脅迫状の大きな謎です。これについて今回の鑑定および意見書は次のように指摘しています。

《齋藤第2鑑定》
 抹消された「筆圧痕文字」は明らかに万年筆等ペンで書かれたもの。その理由は、(1)筆圧痕に部分的に残っている赤紫色インキの色合いは、「様」の青色系とは異なり、「中田江さく」や「様」上の訂正線の色合いと酷似している、(2)「筆圧痕文字」の色素が脱色したのは紙面の状況からみてインキ消しによるもの。事件当時ボールペン用インキ消しは開発されておらず、「筆圧痕文字」は万年筆等ペンで書かれたとしか考えられない、(3)「時」周辺の筆圧痕のいくつかは、万年筆等ペン先痕の典型である二条線である。
 「時」上の訂正線(複数)は二条線であり、これは万年筆等ペンで書かれた典型。訂正線と同様な色素が現存している「時」もペン等で書かれたとするのが自然。

《小畠意見書》
 「筆圧痕文字」について、犯行当時すでに文字は消えているが筆圧痕はわずかに赤紫色を呈している。従って、「少時」以前に何らかの筆記用具で文字が書かれていた。赤紫色が残っていることから、「中田江さく」同様、ブルーブラックインキを用いて万年筆もしくはつけペンにより書かれた可能性が高い。
 訂正線はブルーブラックインキにより書かれた線であり、筆記用具は万年筆もしくはつけペンである。
 なお、「様」の背景に筆圧痕文字は存在しない。「少時」と「様」は別の機会に別の筆記用具で書かれたことは明らかである。

◇新事実―4.「アセトンのかかり具合」によって「少時」と「様」に差異が生じることはあり得ない

 同時にボールペンで書かれたはずの「様」がアセトン溶液に溶解し色素がにじんだ状態で残っているのに、なぜ「少時」に同様の状態が見られないのか、事実―2で述べたように、この理由を裁判所はアセトン溶液のかかり具合によって溶解差があったためであるとしました。

<第2次再審請求棄却決定>
 「少時」と「様」でインクの溶解状況に違いがあるのは、ニンヒドリン−アセトン溶液のかかり具合によって溶解の程度に差があったことによる。
 しかしそれはあり得ないことでした。今回の鑑定書および意見書はそれを次のように指摘しています。

《齋藤第2鑑定》
 指紋検出検査は、対象物をニンヒドリン−アセトン溶液に浸して、まんべんなく検査薬を浸みわたらせるもので、「溶液のかかり具合」で「少時」と「様」が異なることはあり得ない。「少時」と「様」では薬液反応が著しく異なっているのであり、「様」はその溶解反応からボールペンによって書かれていると容易に判断される。「少時」部分は、「様」の流出状況と全く似ていない。

《小畠意見書》
 封筒全体をニンヒドリン−アセトン溶液に浸す場合は、封筒全体の条件が同じになるのだから、もし「少時」もボールペンで書かれたなら「様」同様にある程度インキによる痕跡を残すはず。アセトンの溶解能力が強くても文字全体のインキを完全に流出させるためには封筒全体をある程度の時間漬けておかねばならない。しかし、漬けるのはせいぜい数秒程度であるから、「かかり具合」によってインキの流出にこれほどの差が出たとは考えにくい。
 棄却決定の理由では、「少時」と「様」の状態の明らかな違いを説明できない。

◇新事実―5.「中田江さく」は「少時」が書かれる以前につけペンで書かれたものである

 従来、確定判決の認定では、被害者の父親の名前である「中田江さく」という宛名は、最初の宛名であった「少時様」を斜線で訂正した後に被害者の万年筆によって書かれたものであるとされてきました。

<自白および裁判所の認定>
 被害者殺害後、「少時様」と書いてあった宛名を被害者の万年筆で「中田江さく」に訂正した。〈※石川さんは事件前に被害者と全く接点がなく、被害者の父親の名前を知らなかった。自白では被害者を連行する途中で父親の名や自宅の場所を尋ねたことになっている。また石川さんは万年筆を所持していなかった。したがって確定判決の認定する犯行手順が成り立つためには、「中田江さく」は「少時」より後に、被害者から奪った万年筆で書かれたものでなければならない〉

 しかし、この「中田江さく」と「少時」との書かれた順番は、実は逆であったということが今回の鑑定および意見書で立証されました。

《齋藤第2鑑定》
 3カ所の「中田江さく」の文字はわずかにジワッとにじんだ状態にあり(万年筆インキはアセトン溶液には溶解しないのに)、これは外側から水がしみ込んで濡れたものと認められる。同様に万年筆等ペンで書かれた「少時」や訂正線にはこのようなにじみはまったく見られない。
 事件翌日なされた指紋検査によって脅迫状・封筒から関係者の指紋が検出されている(警察官と被害者家族のもの、石川さんの指紋はなかった)。水に濡れた紙からは指紋の検出は不可能であるから、事件当日、封筒・脅迫状は濡れていなかった。従って、「中田江さく」は犯行前ににじみが存在しており、すでに万年筆によって記載されていたことが推認される。

《小畠意見書》
 事件当時の「中田江さく」はすでに文字のにじみ・かすれが観察される。これは書かれた後に封筒に対して外的要因(携行に伴う汗によるにじみ、衣類等との摩擦によるかすれ等)が加わったことが要因と考えられる。他方「少時」は鮮明であり、脅迫状が届けられる直前に書かれたものか、保存状態が良かったことを示唆する。
 「中」「田」「江」「さ」「く」と書かれるに従って文字が薄くなることから、これらの文字は万年筆ではなくインキの出方が不均一なつけペンによって書かれたことが推定できる。

<封筒の様態から判断される脅迫状作成の経過>

(1)封筒表裏に万年筆等ペンで「中田江さく」が書かれた(3カ所)
(2)封筒が濡れ、「中田江さく」ににじみが生じた
(3)乾燥した後に万年筆等ペンで「少時」の改ざん文字が書かれ
(4)さらにこれに訂正線がほどこされた
※なお、ボールペンで書かれたのは「様」のみである。「様」がいつの時点で書かれたかは不明だが、「様」にも訂正線が施されていることから少なくとも(4)の時点までにはすでに書かれていたものと推測できる

◇結論.脅迫状は石川さんとは関係ないもの

 以上5つの新事実に照らして、次のことが根拠を持って言えることになります。
〈1〉脅迫状を書いた手順についての石川さんの自白と裁判所の認定は、客観的事実と異なること
〈2〉脅迫状封筒に最初から被害者の父親の名前が書かれていることから、被害者や被害者家族と一面識もなく住所や父親の名前も知らなかった石川さん(この事実については検察側・裁判所とも認めている)には、事件発生前に脅迫状は書けなかったこと
〈3〉脅迫状封筒上の文字が「様」をのぞいて全て万年筆で書かれていたことから(石川さん宅に事件前万年筆等ペン類がなかったことも客観的事実であって、検察側・裁判所とも認めているから)物理的にも石川さんには脅迫状を書くことができなかったこと

 つまり、脅迫状は石川さんとは全く関係ない何者かによって書かれて被害者宅に届けられたものということになります。

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