1963年5月1日、埼玉県狭山市で起きた女子高生誘拐殺害事件で、犯人を取り逃がす大失態を演じ、捜査に行き詰まった警察は付近の被差別部落に見込み捜査を行い、当時24歳であった石川一雄さんを別件で逮捕し、1ヵ月にわたる拷問のような取り調べでウソの自白をさせて犯人に仕立て上げた。
この部落差別にもとづく冤罪・狭山事件は、事件発生からで54年、不当な有罪判決(1974年10月31日・2審・東京高裁 寺尾裁判長)から42年が経過し、東京高裁へ第三次再審を申し立ててからすでに11年になろうとしている。
被差別部落に対する差別意識、予断と偏見が最大限に利用され、犯人にでっち上げられてしまった石川一雄さんは、78歳になってしまった。石川さんは見えない手錠を架せられたまま半世紀以上無実を訴え続けている。
2009年に三者協議が開始され、狭山事件の再審審理は大きく動き出した。第三次再審請求以降だけでも191点もの石川さんの無実を証明する新証拠が裁判所に提出され、多くの国民が注視する中で審理は大詰めを迎えている。
狭山弁護団は昨年8月に、石川さんの家から発見され有罪判決の重要証拠となった万年筆が被害者のものではないことを科学的に明らかにした下山鑑定に続き、あいついで新証拠が提出されている。昨年末には、開示された取調べ録音テープの筆記場面の分析もふまえて、当時の石川さんが非識宇者であり、脅迫状を書いていないことを明らかにした森鑑定、魚住鑑定を提出した。今年1月には、開示された捜査資料から発見万年筆が脅迫状の訂正に使われた万年筆ではないことを明らかにした川窪鑑定が提出され、下山鑑定とあわせて発見万年筆が事件とはまったく関係のないものであることを明らかにした。さらに3月には被害者のカバンの発見場所が自白と食い違っており、自白にもとづいて発見されたとはいえないことを明らかにした報告書も提出されている。
これらの新証拠によって、確定判決が有罪証拠の主軸とした脅迫状は石川さんが書いたものではないこと、被害者のものとされる万年筆、カバンに関する自白が「秘密の暴露」(犯人にしか知り得ないこと)とはいえないことが明らかになり、確定有罪判決は完全に崩れている。
これらの新証拠はすべて開示された証拠をもとに発見されており、弁護団は新証拠提出とあわせて徹底した証拠開示を求めているが、検察官は弁護団が求める証拠開示について、必要性・関連性がないなどとしてかたくなに抵抗し続けている。検察官が再審との関連性や審理に関わる必要性を判断するなどということは許されるものではない。
東京高裁・植村裁判長は、検察官の証拠隠しが数々の相次ぐ冤罪を生み出してきたことの教訓をふまえ、狭山事件に関する「すべての証拠のリスト」および「すべての証拠」の開示勧告を検察官に対して発するべきである。
また、確定判決以降42年以上一度も行われていない証人尋問や鑑定人尋問、現場検証などの事実調べをすみやかに行うべきである。
事件発生から54年が経過した狭山事件の再審審理をこれ以上引き延ばすことは許されない。裁判所の責務は、公正・公平な審理を尽くすことであって、決して誤った確定判決を維持することではないはずだ。確定判決に合理的疑いが明確に生じ、証拠のねつ造までもが明らかにされているいま、「無辜の救済」という再審制度の理念を実現すべく、一刻も早く再審を開始しなければならない。
こうした正念場の状況の中で、石川さんが不当逮捕されて54年目を迎える5月23日に、日比谷野外音楽堂において狭山事件の再審を求める市民集会実行委員会の主催で市民集会が開催される。東京各地において冤罪54年とこの間の新証拠を強く訴え、さらなる証拠開示、事実調べ実施、再審開始を求める声を5.23「狭山市民集会」に集めよう!