東京の被差別部落


         

【コラム】

まるで小弾左衛門、長吏小頭

         

 長吏小頭(ちょうりこがしら)とは、江戸時代、弾左衛門の下にあって関東各地で広域にわたって被差別民衆を支配した長吏の頭たちのことです。普通10〜数10の部落を支配しました。弾左衛門は、これらの小頭を通じて各地の長吏たち被差別民衆を支配しました。小頭たちは、その支配領域においては丁度小弾左衛門のような立場で部落の長である小組頭(こぐみがしら)を支配しました。各部落では小組頭が一般の長吏たちを支配したのですが、一方で各部落は、それぞれが属する本村(一般地区)の支配をも受けました。

★小頭の前身は、中世末期に存在した各地の有力な長吏の頭

 長吏小頭は、弾左衛門支配体制が確立する以前、後北条氏の支配時代に各地域に存在した有力な長吏の頭たちにその原型があるようです。その時代、弾左衛門のように単独で、しかも専制的に全被差別民衆を支配する存在は関東にはまだありませんでした。その代わり各地に有力な頭たちがいて、おのおの広域の支配権を持っていて、それぞれに被差別民衆を支配していました。
 中でも有力な頭だったのが、小田原の長吏頭・太郎左衛門でした。太郎左衛門は後北条氏本宗家と密接に結びつき、その力を背景に「同輩中の首席」のような立場で、各地の多くの有力な頭に強い影響力を行使していました。
 しかし、後北条氏が敗北し、新たに徳川氏が関東の支配者となってから、後北条氏と密接に結びついていた小田原太郎左衛門を中心とする被差別民衆支配体制が覆されることになります。江戸の小勢力だった弾左衛門が、太郎左衛門ら旧来の有力な頭たちの上に君臨する形で、歴史上はじめて全関東の被差別民衆を単独で集権的に支配する絶対的体制を確立するのです。
 そして小田原太郎左衛門ら旧来の有力な頭たちは、弾左衛門の下で各地の被差別民衆を支配する長吏小頭へと立場を変えていくことになります。

       

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