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統一応募用紙40年と公正採用選考の課題(3)
竹村毅・元労働省大臣官房参事官
企業と求職者の採用におけるニーズを
雇用と差別の問題は、今は文化の問題として考えています。歴史的にも根が深く、江戸の初期にまで遡る雇用と身元調査の歴史、明治以降も産業構造の変化の中で社会的差別が雇用慣習に引き継がれていったかを考えると、これまでの視点や理念を変えなければ克服し得ないと思います。それには法体系の確立、国際条約、基準、ガイドラインの遵守が確立されなければならないと思います。また、啓発が必要です。
文化の問題である限り、現在でも啓発や研修の充実がほっておかれれば、差別する側に先祖返りしてしまいます。企業の公正採用選考の実効的な新しいシステムを構築すべきですが、どうすべきかが難しい課題です。
就職差別の諸形態は時代と共に変化します。就職前に排除するのは部落地名総鑑事件が典型です。そして、被差別部落の地区調査です。就職前に被差別部落からの求職者を排除しようというわけです。採用時に排除しようとするのが 、社用紙であり、面接であり、身元調査です。就職後は差別発言や差別落書、そして、差別的な労務配置です。そして、今問題になっているのは無意識的な慣習として行われてきた間接差別です。例えば黒人を採用するときに黒人を排除するために雇用に際して高卒の資格を条件にすることは間接差別です。女性を採用するときに、雇用に際して全国への転勤を条件にするなどです。どうしてこういうものがなくならないかというと、現行の採用選考システムの問題点として、日本の企業文化の前近代性をあげなければなりません。
1995年に、労働省の附属機関の日本労働研究機構で「アメリカ日系企業と雇用平等」が公表されました。この調査結果によれば、雇用と差別の問題は、企業文化の問題とされました。これは明治期から引き継いだ身元調査などのしみついた文化です。そこを変えなければいけないというのが調査報告の結論でした。
1965年に「同対審答申」がでました。そして、1967年には戸籍法も改正されました。また、壬申戸籍の閲覧禁止がおこなわれました。71年に近畿統一応募書式、73年に全国統一応募用紙も制定されました。そして、JISの一般的な履歴書も作りました。そこで起きたのが地名総鑑事件でした。その原因は企業文化の問題であると同時に求人求職の双方の情報不足が大きな要因です。だから、統一応募用紙書式を守ればいいよというだけでは絶対に就職差別は無くなりません。求職者が欲しがっている情報は何か、企業が求職者に関して欲しがっている情報は何か、これが必要なんです。
「官民職業情報検討委員会報告書」(2001年5月、厚生労働省)で明らかになったの企業側と学生側がそれぞれに採用選考のときに欲しい情報をみると、82・4 %の企業は学生に対して「仕事への意欲」を欲しい情報として求めていました。そして、52・1%の企業が学生についての得難い情報として「態度、行動」をあげています。しかし、統一応募用紙で、こうした情報は得られるかといえば得られません。学生の側はどうかというと、88・2%の学生は「仕事の内容」を求める企業情報としていますが、実際の採用選考の場ではほとんど提示されません。そして、54・4%の学生が得難い企業の情報としているのは「職場の雰囲気」です。これも現在の採用選考の場で得られる情報ではありません。つまり、雇用における情報のミスマッチを具体的にどう解消するかが、実は公正採用選考を確立するためにきわめて重要な事柄であると言えます。
アメリカの雇用事例
そこで参考になるのはアメリカの方式です。
私が調査したのは、アメリカの西海岸のスタンフォード大学、カリフォルニア大学、カリフォルニア大学ビジネススクールの3校です。職に対するスタンスに関して、アメリカと日本の基本的な違いは、将来性のある強くたくましい若鶏を求めるのがアメリカの企業であって、会社の好みに応じてふ化させるから卵のままで欲しいと望むのが日本の企業だと言えます。また、義務教育終了後子どもの教育費を全て親が面倒を見ているのは日本ぐらいだということです。アメリカでは義務教育を終えて高校生になると、ガソリンスタンドで働いたり、ベビーシッターをしたり、自分の学費は自分で稼ぐということが標準です。これによって働くことや仕事についての訓練・経験を重ねるのです。
そして、大学になるとインターシップが行われます。スタンフォードやカリフォルニア大学はAランクでランクが高いです。そして、企業は例えば、100人採用する中で、Aランクから50%、Bランク、Cランク、Dランクからは何%採用すると公表します。夏休みは2ヶ月ありますから、大学の中に面接室があって、企業が夏休み期間中に働く学生を面接します。それは大学在学中、毎年行われています。夏休み期間、学生が企業で働く限りは同一労働同一賃金で、実績に応じて給料が支払われます。実際の労働者と同じ労働経験をします。こうしたことが大学在学中行われ、企業に採用されていきますから、日本のような職業紹介事業はいらなくなります。企業側は学生の能力もこれまでの自社での雇用の中でわかっているので、採用するかどうかも判断がついているわけです。例えば、あなたは採用してもいいけど、Cランクで時給はこれぐらい、それでもいいか?ということで雇用契約がおこなわれます。学生の側も会社のことについて自由に発信しています。日本のように、新卒一括採用制度で一斉に採用して一斉に入社するなどという制度はありません。社会的差別を排除した公正採用選考を確立するためにはアメリカのインターンシップのように企業と学生の間で本当に知りたい情報が双方で得られるようなわかりやすいシステムに変えていくことが必要です。雇用者と求職者がお互いに採用に関して欲しい情報ができるシステムを企業が率先して作ったらいいと思います。これは本来、行政がすべきことではありません。ただその時に念頭におかなければならないのは人権と差別の問題であり、適正や能力とは何かという、公正採用選考の課題です。
企業の主体的雇用制度
改革が必要
「7・5・3」と言って就職して3年経つと中卒の7割が辞めて、高卒の5割は辞めていき、大卒の3割もやめているという状況です。これは社会的損失です。私自身57年間働きました。今の学生がいうような自分のやりたい仕事、自分に向いている仕事は何だったんだろうかと自問しても、何だったのかわかりません。57年働いてもそんな質問の回答はないんです。学生で、仕事をしてみたこともないのに、自分に向いている仕事が見つからないと言いますが、何を言っているんだと思います。仕事というのはやってみて、その中で自分が生き甲斐ややりがいを感じることができるわけです。最初からそんなことがあるわけではありません。
アメリカの大学生は、自分が一生の仕事にしようというものを研究して職業経験を積むために職能的な観点からアルバイト先を選んでいます。キャリアとは非常に個別的なものです。自分が一生の仕事にしたいという本人の希望を中心に、外部からそういう職種ならこういう知識や技能が必要だ、そのためにこういったことを勉強した方がいいという事をアドバイスしていくのがキャリアです。そうした指導を受けながらいろいろな技能や知識を吸収することで自身の希望する職種の職能が身について、自分の価値を高めていきます。これがキャリア教育です。
能力や意欲に見合った処遇をすることが公正ということです。業種別の初任給制度はある意味では公正ではありません。能力を高めて仕事に貢献した人にはそれなりの報酬を出すというのが公正です。これは国際機関でも、ILOでも認めている中核的な理念です。日本では能力という概念が固まっていません。それは自分が就こうとする職務に対する知識、技能、経験です。能力とは日々の努力によって高められるものです。
人権とは人間を大切にすることに尽きます。逆に自分を大切にできないものに人権を言う資格はありません。教育とは何かと言えば生きる力をつけることです。学力は生きる力をつけるための一つの方法にすぎません。生きる力は何かというと仕事の力をつけることです。働くとはどういうことなのか、そのためには何をしなければならないか、社会全体の合意を再構築する必要があります。企業側は求職者の求める情報を適切に提供し、また、必要な能力や知識、経験、技能を含めた要望を提示すべきです。学生はそこに向かって、努力し、経験を積むということで雇用主と求職者との公正な礎が築かれるのではないでしょうか。
終わり |