狭山事件関係年表
(2018年2月時点)



狭山事件関係年表


◆1963年

◇5月1日午後3時30分ごろ この日16才の誕生日を迎えた狭山市内の女子高校生Yさんが、「今日は誕生日だから」などと友人らに言い残し、いつもよりも早く自転車で下校。しかし午後6時過ぎになっても帰宅せず行方不明に。この日の天候は、午後2時ごろから小雨が降ったりやんだり、午後4時20分ごろからは本降りに。


◇同日午後6時50分ごろ 雨の中午後6時を過ぎてもYさんが帰宅しないのを心配し、Yさんの兄Kさんが自動車でYさんを探しに行く。しかしYさんをみつけることはできず午後7時30分ごろ帰宅。


◇同日午後7時40分ごろ 兄のKさん帰宅して10分ほど後、Yさんの自宅玄関扉に白い封筒に入った「脅迫状」が差し込まれているのを、家族が発見。中にはYさんの学生書が同封されていた。「脅迫状」には「警察に話したら子どもを殺す」との記述があったが、家族はただちに警察に通報。Kさんが自動車に乗って駐在所に行こうと納屋に行ってみると、自動車の脇にYさんの自転車がいつも置かれていた場所に返されているのが発見される。電灯をつけて確認してみると、雨に濡れた自転車のサドルの部分が濡れていなかった。


◇同日7時55分ごろ 駐在所に通報。駐在所から狭山署に連絡。ただちに緊急捜査体制が取られる。


◇5月2日午後10時ごろ 地元狭山署と県警本部からの応援部隊あわせて40人ほどが「脅迫状」で「身代金受け渡し場所」と指定された「佐野屋」周辺に張り込み。


◇同日深夜0時 脅迫状で指定された時間通りに犯人あらわれる。しかし逃走、警察これを取り逃がす。


◇5月3日 周辺の山狩り捜査開始。Yさんのものと思われる自転車の荷台のゴムひもが発見さえる。


◇5月4日 後に殺害現場とされた雑木林近くの農道からYさんの死体が発見される。同日夜Yさんの自宅で司法解剖。死因は扼殺(やくさつ・手で首を絞めて殺すこと)。胃の内容物の消化具合から、死亡時刻は最後にとった食事から最短3時間程度と見られる。その他、被害者の体内にはB型の精液があったこと、また、後頭部に長さ1.3cmの生前に受けた裂傷があり、そこから体外に牛乳瓶にして2本分程度の血液が流失したものと推定された。(以上は裁判に提出された検察側「五十嵐検死報告書」、注―死因の分析にあやまりがあった)


◇同日、警察庁の柏村長官が捜査失敗の責任をとって辞任。


◇5月6日 被害者宅の関係者で警察の事情聴取を受けていた男性が、新築中の新居で自殺(一連の謎の自殺の最初のケース)。捜査が混乱。


◇5月11日 スコップが麦畑から発見される。警察は「死体埋没に使用されたもので、I養豚場のもの」と発表。(Iさんへの確認は5月20日)


◇同日、2人目の自殺者(以降、被害者の姉弟を含む計5人の自殺者を出す)。


◇5月23日 石川一雄さん(当時24歳)が別件で逮捕される。石川さん宅第1回家宅捜索(2時間17分、刑事12人)。


◇5月25日 教科書・ノート類発見


◇6月17日 石川さんを保釈直後に(狭山署内で)再逮捕。ただちに川越署分室に移送される。


◇6月18日 第2回家宅捜索(2時間8分、刑事14人)


◇6月20日 石川さん、このころから自白をはじめる(3人共犯自白)


◇6月21日 被害者の鞄が溝から発見


◇6月23日 石川さん単独犯行自白。


◇6月26日 第3回家宅捜索(24分、刑事3人)第1回、第2回の家宅捜査で発見されなかった被害者の万年筆;が台所の鴨居(カモイ)から発見される。


◇6月29~30日 2日間にわたり腕時計の捜索


◇7月2日 被害者の腕時計が捜査済みの道路から発見される。


◇7月9日 石川さん、Yさん殺しで起訴される。


◇9月4日 第1審第1回公判(浦和地裁)。石川さん起訴事実を認める。


◆1964年

◇3月11日 第1審浦和地裁、石川さんに死刑判決を言い渡す。


◇3月12日 石川さん、東京高裁に控訴。


◇4月30日 石川さん、東京拘置所へ移送される


◇9月10日 第2審第1回公判(東京高裁)。石川さん、Yさん殺害を否認、無実を訴える。


◆1968年

◇11月14日 第30回公判にて、脅迫状の筆圧痕問題が新事実として弁護団より提出される。


◆1969年

◇3月3日 部落解放同盟第24回大会で石川さんの両親がわが子の無実を訴える


◇7月10日 部落解放同盟中央本部がパンフレット「狭山事件の真相」を発行



◆1970年

◇3月3日 部落解放同盟第25回全国大会、狭山差別裁判糾弾の方針を決定


◇5月18日~ 部落解放同盟、部落解放国民大行動に取り組む。狭山差別裁判反対を訴えて全国行進



◆1971年

◇5月29日 「狭山差別裁判に対する公正裁判要求、石川一雄氏の即時釈放」を求める100万人署名、始まる。



◆1973年

◇11月27日 控訴審公判が再開(寺尾正次 裁判長)、集会に1万5千人が結集


◆1974年

◇9月26日 第81回公判、弁護人最終弁論、石川さん最終意見陳述。完全無罪判決要求中央総決起集会に11万人結集、日比谷公園を埋め尽くす。


◇10月31日 第2審東京高等裁判所、無期懲役の判決を言い渡す(寺尾判決)。石川さん・弁護団、最高裁判所へ即日上告。


◆1976年

◇5月23日 石川さんの不当逮捕13年に抗議して、各地で同盟休校をはじめとした闘いがおこなわれる。


◆1977年

◇8月9日 最高裁判所(第2小法廷)、口頭弁論もおこなわずに上告棄却の決定。


◇8月11日 石川さん・弁護団、最高裁判所へ異議申し立て。


◇8月16日 最高裁判所、異議申し立てを却下(15日付)。原判決の無期懲役が確定。


◇8月30日 石川さん・弁護団、東京高等裁判所へ第1次再審請求を申し立て。


◇9月8日 石川一雄さん千葉刑務所に移監


◆1980年

◇2月5日 東京高等裁判所第4刑事部、第1次再審請求を棄却。


◇2月12日 東京高等裁判所へ異議申し立てをおこなう。


◆1981年

◇3月25日 東京高等裁判所、事実調べを一切おこなわず、異議申し立てを棄却。


◇3月30日 石川さん・弁護団、最高裁判所へ特別抗告。


◇10月13日 殺害現場の隣の畑で農作業をしていたOさんの証言が証拠開示で明らかに


◆1985年

◇5月27日 最高裁判所第2小法廷、第1次再審請求の特別抗告を棄却。


◇11月23日 父の富造さん死去


◆1986年

◇8月21日 東京高等裁判所第4刑事部へ第2次再審請求(Oさんの新供述、筆跡鑑定など提出)。


◇11月12日 家宅捜索にかかわる元刑事7人の新証言(「鴨居に万年筆はなかった」)。


◇12月5日 東京高検に証拠開示請求。


◇12月18日 4通の筆跡鑑定、浜田意見書提出。


◆1987年

◇3月28日 母のリイさん死去


◆1988年

◇9月2日 東京高検が芋穴のルミノール反応検査報告書を証拠開示。(死体を一時逆さ吊りにしたとされる芋穴には全く血痕反応がなかった事実が明らかに)その他の証拠は開示を拒否。


◆1990年

◇12月20日 再審請求補充書(総合的補充書)を提出。


◆1991年

◇8月20日 81人の憲法・刑法・刑事訴訟法学者が狭山事件の事実調べを求める署名を東京高裁に提出。


◇10月~92年4月 社会党国会議員が石川さんの仮出獄求めて連続要請行動(千葉刑務所および法務省へ)。


◆1992年

◇7月7日 第1回家宅捜査責任者であったE元刑事が「カモイに万年筆はなかった」と証言(「鴨居は自分が既に捜索済みだった。そこに万年筆はなかった」)。


◇9月8日 東京高裁が検察官に求意見。


◇12月7日 検察官が意見書を提出。


◇12月11日 東京高裁が弁護団へ求意見。


◆1993年

◇3月15日 弁護団が意見書を提出(人形運搬・筆跡意見書も提出)。


◇5月14日 殺害方法についての法医学鑑定書、筆跡に関する調査報告書、自白の信用性などについての意見書追加書面を提出。


◇10月22日~29日 青年による日比谷公園座り込み。仮出獄、証拠開示、事実調べを訴える


◆1994年

◇3月4日 東京高裁の担当裁判官・近藤裁判長が退官。後任に高木俊夫裁判長。


◇4月14日 千葉刑務所を囲む女性による人間の鎖、全国から千人が結集し、石川さんをかえせと訴える


◇12月21日 石川さん、仮出獄によって31年7ヶ月ぶりに狭山にもどる。


◆1996年

◇8月21日 IMADR(反差別国際運動)が国連人権小委員会で狭山事件の証拠開示を訴える。


◇12月21日 石川さん、徳島でながく狭山を支援してきた早智子さんと結婚。


◆1997年

◇2月18日 弁護団、追加意見書(筆跡)を東京高裁に提出。


◇10月14日 石川さん、東京高裁の高木裁判長と面会。


◆1998年

◇9月8日 弁護団、東京高検の担当検察官と折衝、担当検察官は未開示証拠多数が存在すること、そのリストが存在することを認める。


◇10月28~29日 ジュネーブで国際人権〈自由権〉規約委員会がおこなわれ、日本に関する審査がなされる。日本政府代表に対して、複数の委員から「狭山事件」に関する質問。


◇11月6日 国際人権〈自由権〉規約委員会、日本に関する最終見解を発表。「弁護側がすべての証拠にアクセスできるよう、法律および実務を改めること」を勧告。


◇11月17日 弁護団、東京高検の担当検察官と折衝、担当検察官は証拠開示を拒否。


◆1999年

◇3月23日 弁護団、東京高検の担当検察官と折衝、担当検察官は「狭山事件の未開示証拠は積みあげると2~3メートルに達する」と回答。


◇これ以降、弁護団は東京高検と再三にわたって折衝、証拠開示を求めるが東京高検はこれを拒否。担当検察官が数ヶ月ごとに交代する(この時点から2002年1月までに8人)異例の人事がおこなわれるなどして、折衝進まず。


◇7月7日(付) 東京高裁第4刑事部(高木俊夫裁判長)、狭山事件の第2次再審請求を棄却。


◇7月11日 石川さん東京高裁第5刑事部(高橋省吾裁判長)に異議申し立て


◇11月30日 狭山事件の再審を求める学者・文化人の会結成(代表に庭山英雄弁護士、事務局長に鎌田慧さん)


◆2000年

◇5月22日 「朝日新聞」に「日本語の練習問題です」と題した狭山事件の意見広告


◆2002年

◇1月23日(付) 東京高裁第5刑事部(高橋省吾裁判長)、狭山事件の異議申し立てを棄却。


◇1月29日 石川さん最高裁判所に対して特別抗告。担当小法廷は第1小法廷。



◆2005年

3月16日 最高裁第1小法廷(島田次郎裁判長)が特別抗告申立棄却決定


◆2006年

5月23日 東京高裁に第3次再審請求(東京高裁第4刑事部・仙波裁判長)


◆2007年

◇5月18日 国連拷問禁止委員会が日本政府に取調べの可視化、証拠開示の保障などを勧告


5月23日 署名が100万人を突破、1,000,529筆に。東京高裁に提出、門野裁判長就任


◆2008年

7月14日 東京高裁第4刑事部(門野博 裁判長)が布川事件の再審開始決定。検察が特別抗告


10月14日~ 石川さんジュネーブで国連自由権規約委員会の委員に無実と証拠開示を訴える。委員会は証拠開示の保障などを勧告


◆2009年

6月4日 足利事件で菅家利和さん釈放。DNA再鑑定で犯人の型と一致せず無実が明らかに


9月10日 第1回三者協議開かれる。10月末までに証拠開示についての検察側の意見を提出することが決まる


12月15日 最高裁が布川事件で検察の特別抗告を棄却、再審開始が決定


12月16日 第2回三者協議で東京高裁の門野博裁判長が8項目の証拠開示を勧告


◆2010年

3月26日 菅家さん再審無罪、裁判長が謝罪


5月13日 第3回三者協議、東京高検が36点の証拠開示、逮捕当日の石川さん上申書などが47年ぶりに明らかになる


◆2011年

5月24日 水戸地裁土浦支部が布川事件再審公判で桜井さん、杉山さんに無罪判決


9月28日 第8回三者協議、検察官「不見当」と回答。裁判所が3物証に関わる証拠の開示を促す


12月14 第9回三者協議、検察官が14点の証拠開示。「犯行現場」に関わる捜査資料は「不見当」と回答


◆2012年

3月30日 検察官が弁護側鑑定(筆跡、殺害方法)に反論する3通の意見書を東京高裁に提出


4月23日 第10回三者協議、検察官が19点の証拠開示


5月31日 検察官が弁護人鑑定(スコップ土壌)に反論する意見書を東京高裁に提出


9月26日 弁護団が腕時計についての新証拠などを提出


10月3日 第11回三者協議、検察官が4点証拠開示


◆2013年

1月30日 第12回三者協議、検察官が19点の証拠開示


3月5日 東京高裁第4刑事部の裁判長が交代、河合健司裁判長に。担当裁判長も4月に交代


3月27日 検察官が26点の証拠開示


5月8日 第13回三者協議、河合裁判長も証拠開示を促す


7月26日 第14回三者協議、証拠物3点を証拠開示。弁護団が求めた開示を必要性なしとして検察官は拒否


8月29日 腕時計のバンド穴に関する新証拠を提出(検察官意見書に対する反論)


10月17日 手拭いに関する新証拠を提出


10月28日 第15回三者協議、検察官は証拠開示に応じず


10月31日 映画「SAYAMA 見えない手錠をはずすまで」完成上映会


◆2014年

1月30日 「秘密の暴露」(車の駐車)に関する新証拠13点を提出


1月31日 第16回三者協議


3月27日 袴田事件再審開始決定(静岡地裁)証拠ねつ造と人権無視の取り調べを認める


3月28日 第17回三者協議、河合裁判長は筆跡試資料などの証拠開示を促す


5月7日 取調べ録音テープの反訳とそれを分析した心理学鑑定書(浜田鑑定書)を提出


5月23日 不当逮捕51ヵ年糾弾集会に袴田巌さんが参加


6月13日 第18回三者協議



◆2015年

1月22日 検察官が証拠物の一覧表を開示


1月23日 第21回三者協議


2月13日 弁護団が手拭いに関する新証拠と補充書を提出。犯行に使われた手拭いが石川さんの家のものではないことを明らかに


3月18日 検察官が航空写真112枚(写真ネガ1点)を開示


3月24日 第22回三者協議


4月24日 弁護団が還付を求めた証拠物(石川さん宅からの押収物)28点を検察庁が還付


5月25日 手拭いに関する捜査報告書2通を開示


6月29日 東京高裁第4刑事部の裁判長が交代、植村稔裁判長が着任


7月21日 検察官が捜査報告書1点を開示(開示証拠は181点に)


7月24日 弁護団が開示された捜査報告書を新証拠として提出。「車の追い越し」は「秘密の暴露」ではないとする補充書、さらに開示勧告を求める申立書を提出。万年筆略図の改ざんについて新証拠と補充書、証拠開示勧告申立書を提出。提出新証拠は176点に


7月27日 第24回三者協議、植村裁判長は、客観的証拠は開示してほしいという従来の裁判所の姿勢を踏襲する旨表明


10月5日 検察官が万年筆捜索・発見に関わる調書など2点を開示


10月7日 弁護団が新証拠、証拠開示勧告申立書を提出


10月9日 第25回三者協議、検察官がポリグラフチャート2本などを証拠開示。開示証拠は185点に


12月21日 第26回三者協議、検察官が弁護団の求めた証拠物の開示は必要ないと拒否。弁護団が取調べテープと石川さんの筆記能力に関する補充書を新証拠1点とともに提出


◆2016年

2月26日 弁護団が車両の視認に関する鑑定書、実験報告書などの新証拠を提出。提出新証拠は182点に


3月4日 第27回三者協議


5月23日 取調べテープにもとづく補充書を提出(石川さんの自白の変遷は取調官の誘導によるもの)


5月25日 第28回三者協議


8月22日 弁護団が下山鑑定を提出


8月29日 第29回三者協議


10月21日 万年筆に関する捜査資料1点が証拠開示


11月2日 第30回三者協議


12月28日 弁護団が森鑑定、魚住第3鑑定(筆跡・識字能力鑑定)を提出



◆2017年

1月31日 弁護団が川窪第3鑑定を提出(発見万年筆は脅迫状訂正に使われたものではない)


2月1日 5.21上申書作成に関する警察官の報告書が開示(開示証拠は187点に)


2月8日 第31回三者協議


3月2日 弁護団が流王報告書を提出(鞄は自白通り発見されていない)


5月10日 第32回三者協議


7月3日 検察官が下山鑑定に対する反証意見書を提出


7月24日 第33回三者協議


10月9日 証拠物3点を開示


10月13日 第34回三者協議


10月30日 証拠物1点を開示(開示証拠は191点に)


12月22日 植村稔裁判長が交代、後藤眞理子裁判長が着任


◆2018年

1月15日 福江鑑定、魚住意見書を東京高裁に提出(提出新証拠は197点に)


1月22日 第35回三者協議(後藤眞理子裁判長に交代してから初の三者協議)


3月24日 映画「獄友」劇場公開 (東京・ポレポレ東中野)


5月11日 自白に関する補充書2通を提出


5月14日 第36回三者協議


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