狭山事件関係年表
(2022年1月時点)



狭山事件関係年表


◆1963年

◇5月1日午後3時30分ごろ この日16才の誕生日を迎えた狭山市内の女子高校生Yさんが、「今日は誕生日だから」などと友人らに言い残し、いつもよりも早く自転車で下校。しかし午後6時過ぎになっても帰宅せず行方不明に。この日の天候は、午後2時ごろから小雨が降ったりやんだり、午後4時20分ごろからは本降りに。


◇同日午後6時50分ごろ 雨の中午後6時を過ぎてもYさんが帰宅しないのを心配し、Yさんの兄Kさんが自動車でYさんを探しに行く。しかしYさんをみつけることはできず午後7時30分ごろ帰宅。


◇同日午後7時40分ごろ 兄のKさんが帰宅して10分ほど後、Yさんの自宅玄関扉に白い封筒に入った「脅迫状」が差し込まれているのを、家族が発見。中にはYさんの学生書が同封されていた。「脅迫状」には「警察に話したら子どもを殺す」との記述があったが、家族はただちに警察に通報。Kさんが自動車に乗って駐在所に行こうと納屋に行ってみると、自動車の脇にYさんの自転車がいつも置かれていた場所に返されているのが発見される。電灯をつけて確認してみると、雨に濡れた自転車のサドルの部分が濡れていなかった。


◇同日7時55分ごろ 駐在所に通報。駐在所から狭山署に連絡。ただちに緊急捜査体制が取られる。


◇5月2日午後10時ごろ 地元狭山署と県警本部からの応援部隊あわせて40人ほどが「脅迫状」で「身代金受け渡し場所」と指定された「佐野屋」周辺に張り込み。


◇同日深夜0時 脅迫状で指定された時間通りに犯人あらわれる。しかし逃走、警察これを取り逃がす。


◇5月3日 周辺の山狩り捜査開始。Yさんのものと思われる自転車の荷台のゴムひもが発見さえる。


◇5月4日 後に殺害現場とされた雑木林近くの農道からYさんの死体が発見される。同日夜Yさんの自宅で司法解剖。死因は扼殺(やくさつ・手で首を絞めて殺すこと)。胃の内容物の消化具合から、死亡時刻は最後にとった食事から最短3時間程度と見られる。その他、被害者の体内にはB型の精液があったこと、また、後頭部に長さ1.3cmの生前に受けた裂傷があり、そこから体外に牛乳瓶にして2本分程度の血液が流失したものと推定された。(以上は裁判に提出された検察側「五十嵐検死報告書」、注―死因の分析にあやまりがあった)


◇同日、警察庁の柏村長官が捜査失敗の責任をとって辞任。


◇5月6日 被害者宅の関係者で警察の事情聴取を受けていた男性が、新築中の新居で自殺(一連の謎の自殺の最初のケース)。捜査が混乱。


◇5月11日 スコップが麦畑から発見される。警察は「死体埋没に使用されたもので、I養豚場のもの」と発表。(Iさんへの確認は5月20日)


◇同日、2人目の自殺者(以降、被害者の姉弟を含む計5人の自殺者を出す)。


◇5月23日 石川一雄さん(当時24歳)が別件で逮捕される。石川さん宅第1回家宅捜索(2時間17分、刑事12人)。


◇5月25日 教科書・ノート類発見


◇6月17日 石川さんを保釈直後に(狭山署内で)再逮捕。ただちに川越署分室に移送される。


◇6月18日 第2回家宅捜索(2時間8分、刑事14人)


◇6月20日 石川さん、このころから自白をはじめる(3人共犯自白)


◇6月21日 被害者の鞄が溝から発見


◇6月23日 石川さん単独犯行自白。


◇6月26日 第3回家宅捜索(24分、刑事3人)第1回、第2回の家宅捜査で発見されなかった被害者の万年筆が台所の鴨居(カモイ)から発見される。


◇6月29~30日 2日間にわたり腕時計の捜索


◇7月2日 被害者の腕時計が捜査済みの道路から発見される。


◇7月9日 石川さん、Yさん殺しで起訴される。


◇9月4日 第1審第1回公判(浦和地裁)。石川さん起訴事実を認める。


◆1964年

◇3月11日 第1審浦和地裁、石川さんに死刑判決を言い渡す。


◇3月12日 石川さん、東京高裁に控訴。


◇4月30日 石川さん、東京拘置所へ移送される


◇9月10日 第2審第1回公判(東京高裁)。石川さん、Yさん殺害を否認、無実を訴える。


◆1968年

◇11月14日 第30回公判にて、脅迫状の筆圧痕問題が新事実として弁護団より提出される。


◆1969年

◇3月3日 部落解放同盟第24回大会で石川さんの両親がわが子の無実を訴える


◇7月10日 部落解放同盟中央本部がパンフレット「狭山事件の真相」を発行



◆1970年

◇3月3日 部落解放同盟第25回全国大会、狭山差別裁判糾弾の方針を決定


◇5月18日~ 部落解放同盟、部落解放国民大行動に取り組む。狭山差別裁判反対を訴えて全国行進



◆1971年

◇5月29日 「狭山差別裁判に対する公正裁判要求、石川一雄氏の即時釈放」を求める100万人署名、始まる。



◆1973年

◇11月27日 控訴審公判が再開(寺尾正次 裁判長)、集会に1万5千人が結集


◆1974年

◇9月26日 第81回公判、弁護人最終弁論、石川さん最終意見陳述。完全無罪判決要求中央総決起集会に11万人結集、日比谷公園を埋め尽くす。


◇10月31日 第2審東京高等裁判所、無期懲役の判決を言い渡す(寺尾判決)。石川さん・弁護団、最高裁判所へ即日上告。


◆1976年

◇5月23日 石川さんの不当逮捕13年に抗議して、各地で同盟休校をはじめとした闘いがおこなわれる。


◆1977年

◇8月9日 最高裁判所(第2小法廷)、口頭弁論もおこなわずに上告棄却の決定。


◇8月11日 石川さん・弁護団、最高裁判所へ異議申し立て。


◇8月16日 最高裁判所、異議申し立てを却下(15日付)。原判決の無期懲役が確定。


◇8月30日 石川さん・弁護団、東京高等裁判所へ第1次再審請求を申し立て。


◇9月8日 石川一雄さん千葉刑務所に移監


◆1980年

◇2月7日(2月5日付け) 東京高等裁判所第4刑事部、第1次再審請求を棄却。


◇2月12日 東京高等裁判所へ異議申し立てをおこなう。


◆1981年

◇3月25日 東京高等裁判所、事実調べを一切おこなわず、異議申し立てを棄却。


◇3月30日 石川さん・弁護団、最高裁判所へ特別抗告。


◇10月13日 殺害現場の隣の畑で農作業をしていたOさんの証言が証拠開示で明らかに


◆1985年

◇5月27日 最高裁判所第2小法廷、第1次再審請求の特別抗告を棄却。


◇11月23日 父の富造さん死去


◆1986年

◇8月21日 東京高等裁判所第4刑事部へ第2次再審請求(Oさんの新供述、筆跡鑑定など提出)。


◇11月12日 家宅捜索にかかわる元刑事7人の新証言(「鴨居に万年筆はなかった」)。


◇12月5日 東京高検に証拠開示請求。


◇12月18日 4通の筆跡鑑定、浜田意見書提出。


◆1987年

◇3月28日 母のリイさん死去


◆1988年

◇9月2日 東京高検が芋穴のルミノール反応検査報告書を証拠開示。(死体を一時逆さ吊りにしたとされる芋穴には全く血痕反応がなかった事実が明らかに)その他の証拠は開示を拒否。


◆1990年

◇12月20日 再審請求補充書(総合的補充書)を提出。


◆1991年

◇8月20日 81人の憲法・刑法・刑事訴訟法学者が狭山事件の事実調べを求める署名を東京高裁に提出。


◇10月~92年4月 社会党国会議員が石川さんの仮出獄求めて連続要請行動(千葉刑務所および法務省へ)。


◆1992年

◇7月7日 第1回家宅捜査責任者であったE元刑事が「カモイに万年筆はなかった」と証言(「鴨居は自分が既に捜索済みだった。そこに万年筆はなかった」)。


◇9月8日 東京高裁が検察官に求意見。


◇12月7日 検察官が意見書を提出。


◇12月11日 東京高裁が弁護団へ求意見。


◆1993年

◇3月15日 弁護団が意見書を提出(人形運搬・筆跡意見書も提出)。


◇5月14日 殺害方法についての法医学鑑定書、筆跡に関する調査報告書、自白の信用性などについての意見書追加書面を提出。


◇10月22日~29日 青年による日比谷公園座り込み。仮出獄、証拠開示、事実調べを訴える


◆1994年

◇3月4日 東京高裁の担当裁判官・近藤裁判長が退官。後任に高木俊夫裁判長。


◇4月14日 千葉刑務所を囲む女性による人間の鎖、全国から千人が結集し、石川さんをかえせと訴える


◇12月21日 石川さん、仮出獄によって31年7ヶ月ぶりに狭山にもどる。


◆1996年

◇8月21日 IMADR(反差別国際運動)が国連人権小委員会で狭山事件の証拠開示を訴える。


◇12月21日 石川さん、徳島でながく狭山を支援してきた早智子さんと結婚。


◆1997年

◇2月18日 弁護団、追加意見書(筆跡)を東京高裁に提出。


◇10月14日 石川さん、東京高裁の高木裁判長と面会。


◆1998年

◇9月8日 弁護団、東京高検の担当検察官と折衝、担当検察官は未開示証拠多数が存在すること、そのリストが存在することを認める。


◇10月28~29日 ジュネーブで国際人権〈自由権〉規約委員会がおこなわれ、日本に関する審査がなされる。日本政府代表に対して、複数の委員から「狭山事件」に関する質問。


◇11月6日 国際人権〈自由権〉規約委員会、日本に関する最終見解を発表。「弁護側がすべての証拠にアクセスできるよう、法律および実務を改めること」を勧告。


◇11月17日 弁護団、東京高検の担当検察官と折衝、担当検察官は証拠開示を拒否。


◆1999年

◇3月23日 弁護団、東京高検の担当検察官と折衝、担当検察官は「狭山事件の未開示証拠は積みあげると2~3メートルに達する」と回答。


◇これ以降、弁護団は東京高検と再三にわたって折衝、証拠開示を求めるが東京高検はこれを拒否。担当検察官が数ヶ月ごとに交代する(この時点から2002年1月までに8人)異例の人事がおこなわれるなどして、折衝進まず。


◇7月7日(付) 東京高裁第4刑事部(高木俊夫裁判長)、狭山事件の第2次再審請求を棄却。


◇7月12日 石川さん東京高裁第5刑事部(高橋省吾裁判長)に異議申し立て


◇11月30日 狭山事件の再審を求める学者・文化人の会結成(代表に庭山英雄弁護士、事務局長に鎌田慧さん)


◆2000年

◇5月22日 「朝日新聞」に「日本語の練習問題です」と題した狭山事件の意見広告


◆2002年

◇1月23日(付) 東京高裁第5刑事部(高橋省吾裁判長)、狭山事件の異議申し立てを棄却。


◇1月29日 石川さん最高裁判所に対して特別抗告。担当小法廷は第1小法廷。



◆2005年

3月16日 最高裁第1小法廷(島田次郎裁判長)が特別抗告申立棄却決定


◆2006年

5月23日 東京高裁に第3次再審請求(東京高裁第4刑事部・仙波裁判長)


◆2007年

◇5月18日 国連拷問禁止委員会が日本政府に取調べの可視化、証拠開示の保障などを勧告


◇5月23日 署名が100万人を突破、1,000,529筆に。東京高裁に提出、門野裁判長就任


◆2008年

◇7月14日 東京高裁第4刑事部(門野博 裁判長)が布川事件の再審開始決定。検察が特別抗告


◇10月14日~ 石川さんジュネーブで国連自由権規約委員会の委員に無実と証拠開示を訴える。委員会は証拠開示の保障などを勧告


◆2009年

◇6月4日 足利事件で菅家利和さん釈放。DNA再鑑定で犯人の型と一致せず無実が明らかに


◇9月10日 第1回三者協議開かれる。10月末までに証拠開示についての検察側の意見を提出することが決まる


◇12月15日 最高裁が布川事件で検察の特別抗告を棄却、再審開始が決定


◇12月16日 第2回三者協議で東京高裁の門野博裁判長が8項目の証拠開示を勧告


◆2010年

◇3月26日 菅家さん再審無罪、裁判長が謝罪


◇5月13日 第3回三者協議、東京高検が36点の証拠開示、逮捕当日の石川さん上申書などが47年ぶりに明らかになる


◆2011年

◇5月24日 水戸地裁土浦支部が布川事件再審公判で桜井さん、杉山さんに無罪判決


◇9月28日 第8回三者協議、検察官「不見当」と回答。裁判所が3物証に関わる証拠の開示を促す


◇12月14 第9回三者協議、検察官が14点の証拠開示。「犯行現場」に関わる捜査資料は「不見当」と回答


◆2012年

◇3月30日 検察官が弁護側鑑定(筆跡、殺害方法)に反論する3通の意見書を東京高裁に提出


◇4月23日 第10回三者協議、検察官が19点の証拠開示


◇5月31日 検察官が弁護人鑑定(スコップ土壌)に反論する意見書を東京高裁に提出


◇9月26日 弁護団が腕時計についての新証拠などを提出


◇10月3日 第11回三者協議、検察官が4点証拠開示


◆2013年

◇1月30日 第12回三者協議、検察官が19点の証拠開示


◇3月5日 東京高裁第4刑事部の裁判長が交代、河合健司裁判長に。担当裁判長も4月に交代


◇3月27日 検察官が26点の証拠開示


◇5月8日 第13回三者協議、河合裁判長も証拠開示を促す


◇7月26日 第14回三者協議、証拠物3点を証拠開示。弁護団が求めた開示を必要性なしとして検察官は拒否


◇8月29日 腕時計のバンド穴に関する新証拠を提出(検察官意見書に対する反論)


◇10月17日 手拭いに関する新証拠を提出


◇10月28日 第15回三者協議、検察官は証拠開示に応じず


◇10月31日 映画「SAYAMA 見えない手錠をはずすまで」完成上映会


◆2014年

◇1月30日 「秘密の暴露」(車の駐車)に関する新証拠13点を提出


◇1月31日 第16回三者協議


◇3月27日 袴田事件再審開始決定(静岡地裁)証拠ねつ造と人権無視の取り調べを認める


◇3月28日 第17回三者協議、河合裁判長は筆跡試資料などの証拠開示を促す


◇5月7日 取調べ録音テープの反訳とそれを分析した心理学鑑定書(浜田鑑定書)を提出


◇5月23日 不当逮捕51ヵ年糾弾集会に袴田巌さんが参加


◇6月13日 第18回三者協議



◆2015年

◇1月22日 検察官が証拠物の一覧表を開示


◇1月23日 第21回三者協議


◇2月13日 弁護団が手拭いに関する新証拠と補充書を提出。犯行に使われた手拭いが石川さんの家のものではないことを明らかに


◇3月18日 検察官が航空写真112枚(写真ネガ1点)を開示


◇3月24日 第22回三者協議


◇4月24日 弁護団が還付を求めた証拠物(石川さん宅からの押収物)28点を検察庁が還付


◇5月25日 手拭いに関する捜査報告書2通を開示


◇6月29日 東京高裁第4刑事部の裁判長が交代、植村稔裁判長が着任


◇7月21日 検察官が捜査報告書1点を開示(開示証拠は181点に)


◇7月24日 弁護団が開示された捜査報告書を新証拠として提出。「車の追い越し」は「秘密の暴露」ではないとする補充書、さらに開示勧告を求める申立書を提出。万年筆略図の改ざんについて新証拠と補充書、証拠開示勧告申立書を提出。提出新証拠は176点に


◇7月27日 第24回三者協議、植村裁判長は、客観的証拠は開示してほしいという従来の裁判所の姿勢を踏襲する旨表明


◇10月5日 検察官が万年筆捜索・発見に関わる調書など2点を開示


◇10月7日 弁護団が新証拠、証拠開示勧告申立書を提出


◇10月9日 第25回三者協議、検察官がポリグラフチャート2本などを証拠開示。開示証拠は185点に


◇12月21日 第26回三者協議、検察官が弁護団の求めた証拠物の開示は必要ないと拒否。弁護団が取調べテープと石川さんの筆記能力に関する補充書を新証拠1点とともに提出


◆2016年

◇2月26日 弁護団が車両の視認に関する鑑定書、実験報告書などの新証拠を提出。提出新証拠は182点に


◇3月4日 第27回三者協議


◇5月23日 取調べテープにもとづく補充書を提出(石川さんの自白の変遷は取調官の誘導によるもの)


◇5月25日 第28回三者協議


◇8月22日 弁護団が下山鑑定を提出


◇8月29日 第29回三者協議


◇10月21日 万年筆に関する捜査資料1点が証拠開示


◇11月2日 第30回三者協議


◇12月28日 弁護団が森鑑定、魚住第3鑑定(筆跡・識字能力鑑定)を提出



◆2017年

◇1月31日 弁護団が川窪第3鑑定を提出(発見万年筆は脅迫状訂正に使われたものではない)


◇2月1日 5.21上申書作成に関する警察官の報告書が開示(開示証拠は187点に)


◇2月8日 第31回三者協議


◇3月2日 弁護団が流王報告書を提出(鞄は自白通り発見されていない)


◇5月10日 第32回三者協議


◇7月3日 検察官が下山鑑定に対する反証意見書を提出


◇7月24日 第33回三者協議 植村裁判長が4点の証拠開示勧告


◇10月9日 犯行動機の証拠物3点を開示


◇10月13日 第34回三者協議


◇10月30日 証拠物1点を開示(開示証拠は191点に)


◇12月20日ドキュメンタリー映画「獄友」完成試写会


◇12月22日 植村稔裁判長が交代、後藤眞理子裁判長が着任



◆2018年

◇1月15日 福江鑑定、魚住意見書を東京高裁に提出(提出新証拠は197点に)


◇1月22日 第35回三者協議(後藤眞理子裁判長に交代してから初の三者協議)


◇3月24日 映画「獄友」劇場公開 (東京・ポレポレ東中野)


◇5月11日 弁護団が自白に関する補充書2通を提出


◇5月14日 第36回三者協議


◇6月11日 袴田事件で東京高裁第8刑事部が静岡地裁の再審開始決定を取り消し、再審請求を棄却する不当決定


◇7月10日 スコップに関する新証拠として、元京都府警察本部科学捜査研究所技官の平岡義博・立命館大学教授による
     鑑定意見書2通などを提出(提出新証拠は211点に)


◇8月30日 下山進・吉備国際大学名誉教授が作成した鑑定書
     「Mini-X非破壊分析装置によるインキ成分の元素分析」(下山第2鑑定)
     および同名誉教授作成の意見書(下山意見書)などの新証拠を提出(提出新証拠は217点に)


◇9月14日 第37回三者協議 検察官が福江鑑定に対する反証を提出


◇12月20日 福江潔也・東海大学教授による意見書(福江意見書)、元栃木県警鑑識課員の斎藤保さんの指紋鑑定(斉藤指紋鑑定)、流王英樹・土地家屋調査士による死体運搬経路についての報告書(流王報告書)を提出。提出新証拠は220点に。


◇12月26日 第38回三者協議 検察官は、8月に弁護団が提出した下山第2鑑定に対して、反証を提出するとした。反証の提出時期については、実験も行なうので数カ月かかるとした。


◆2019年

◇3月2日 えん罪犠牲者の会結成


◇4月1日 狭山事件における万年筆発見経過の不合理性を指摘した心理学鑑定の原・厳島鑑定を提出。提出新証拠は221点に。


◇4月22日 第39回三者協議 弁護団から反証の提出予定について検察官に回答を求める。


◇5月 下山第2鑑定、福江意見書に対する反証を提出するとの検察官の回答が出される。


◇5月27日 布川事件の国賠裁判で東京地裁が、検察官の証拠隠し、警察の取り調べを違法とする判決。


◇6月25日 最高裁第1小法廷(小池裕裁判長が)、大崎事件の再審開始を取り消し・棄却する不当決定。


◇7月12日 弁護団が反証の提出時期等について検察官に回答を求める求釈明書を提出。


◇7月22日 検察官は平岡鑑定に対する反証はあらたに提出せず、以前提出した科警研技官の意見書をもって代えるとの回答。


◇7月29日 下山第2鑑定に対する反証の提出時期、内容等について検察官に回答を求める求釈明書を提出。


◇7月31日 東京高裁第4刑事部(後藤眞理子裁判長)が三鷹事件の再審請求で鑑定人尋問を行なわず再審請求を棄却する不当決定。


◇9月9日 第40回三者協議。


◇10月 検察が福江意見書に対する反証の意見書を提出。


◇11月21日 弁護団が検察官に対して、下山第2鑑定に対する反証の内容として、これまでどのような検査、実験をやったのか、やったとすればどのような結果だったのか、当時のジェットブルーインクを入手して実験をおこなう趣旨、内容は何かを明らかにするよう求める求釈明申立書を提出。


◇12月10月 弁護団が血液型に関する鉄意見書、スコップ(土壌)に関する平岡第2鑑定、万年筆インクに関する雨宮意見書を提出。提出新証拠は224点に。


◇12月10日 第41回三者協議。



◆2020年

◇3月3日 弁護団が手拭いに関する補充書、新証拠一点(事件当時の捜査報告書)を提出。新証拠は255点に。


◇3月16日 検察官は、弁護団が提出した法医学鑑定である赤根鑑定、長尾鑑定(殺害方法等について)、鉄意見書(血液型について)に対して、近藤稔和・和歌山県立医科大学教授の意見書を反証として提出。弁護団は、再反論を提出することにしている。


◇3月19日 第42回三者協議


◇5月29日 検察官は、弁護団が提出した下山第2鑑定、原・厳島鑑定、浜田鑑定(万年筆に関する自白)など、万年筆に関わる新証拠、主張に反論する内容の検察官意見書を提出。弁護団は、検察官意見書に対して、証拠によって全面的に再反論することにしている。


◇6月15日 弁護団は、再審請求補充書と新証拠一点(第3次再審で証拠開示された腕時計についての捜査報告書)を提出。提出された新証拠は226点に。


◇6月18日 第43回三者協議


◇6月24日 狭山事件の再審請求が係属している東京高等裁判所第4刑事部の後藤眞理子裁判長が定年退官。後任の裁判長には、最高裁調査官、東京高裁判事、東京地裁裁判長などを経て、新潟地裁裁判長だった大野勝則・裁判官(39期61歳)が就任。


◇9月23日 弁護団は、新証拠と再審請求補充書を提出。 福江鑑定人による「筆跡鑑定の従来法と新鑑定について(所見)」、「コンピュータによる筆跡鑑定法について(解説)」と題した2通の書面と 補充書(福江鑑定・福江意見書に対する検察官の反論について再反論を述べたもの)を提出。第3次再審で提出された新証拠は228点に。


◇9月25日 第44回三者協議


◇12月8日 弁護団は、鈴木宏正・東京大学教授、山口泰・東京大学教授、大竹豊・東京大学准教授、長井超慧・東京都立大学准教授による 3次元スキャナによる計測にもとづいた足跡新鑑定を提出。 また弁護団は、なぜ死体発見現場そのものから土を採取しなかったのかなど鑑定経過を明らかにする必要があるとして、 星野鑑定がスコップ付着の土と比較する対照資料として死体発見現場付近から土壌を採取した際の捜査報告書類、 採取記録(穴などの写真、ネガ、スケッチ等)や採取現場を指示した書類などを証拠開示するよう求める証拠開示勧告申立書も提出した。


◇12月16日 弁護団が提出してきた血液型・スコップについての新証拠に対して検察側がこの間に提出してきた反証・反論の意見書に対する再反論として、 弁護団は、血液型について、鉄堅第2意見書・再審請求補充書を提出。スコップについて、平岡第3意見書を提出した。


◇12月18日 弁護団が提出してきた万年筆についての新証拠に対して検察官がこの間に提出してきた反証・反論の意見書に対する再反論として、 弁護団は、万年筆について、原・厳島意見書・下山論文などの新証拠を提出した。 第3次再審で提出された新証拠は241点に。


◇12月21日 第45回三者協議



◆2021年

◇3月9日 弁護団の中北事務局長、小野弁護士が2020年末に提出した証拠開示勧告申立書について東京高裁の裁判官に面接し、証拠開示の必要性などを説明した。


◇3月29日 検察官は、弁護団が提出した筆跡についての新証拠に反論する意見書を提出した。 弁護団は、第三次再審で証拠開示された逮捕当日の上申書や取り調べ録音テープなどにもとづいて、 石川さんが脅迫状を書いていないことを明らかにする新証拠として多数の筆跡・識字能力鑑定を提出してきた。 検察官意見書は、これらの新証拠すべてについて再審理由にならないと主張している。 弁護団は、この検察意見書に対しても誤りを明らかにし、徹底して再反論することにしている。


◇4月27日 第46回三者協議


◇5月18日 検察官は、「弁護人が開示を求める証拠であって、未開示のものは見当たらない」とする回答の意見書を提出した。


◇6月30日 検察官が意見書を提出。この意見書は、弁護団が提出した万年筆関係の新証拠、とりわけ下山第2鑑定に反論するもの。 弁護団は、この検察官意見書に対しても誤りを明らかにし、徹底して再反論することにしている。


◇7月14日 弁護団は、さらに開示を求める意見書を提出した。 スコップ付着土壌の鑑定を行なった埼玉県警鑑識課の星野技師は、竹内・狭山署長からの電話で依頼を受けて対照資料(土壌)を採取したと報告書に書いており、 少なくとも、どの場所の土壌をどのように採取するよう依頼したかの記録が残っているはず。 星野鑑定人は、スコップについて附着物の油脂についての鑑定も行なっているが、スコップ発見の翌日5月12日に竹内・狭山署長が 星野鑑定人に対して鑑定嘱託書を出し、同夜に星野鑑定人から特捜本部に」電話で鑑定結果の中間報告があったという記録や翌13日にも電話で 中間報告があったという記録など、特捜本部と星野鑑定人とは密に電話のやりとりをしており、その内容は逐一記録されていたことが 開示された証拠によって明らかになっている。そのことからすれば、スコップ付着の土の鑑定資料の採取にあたって、埼玉警察本部の警察技師である 星野鑑定人にどのように説明して現場における対照資料の採取場所を特定し依頼したのか等の記録が残っているはずで、油脂の鑑定と同様に、 星野鑑定人から特捜本部へ報告した記録も残っているはず。弁護団は、こうした点を指摘し、狭山警察署やさいたま地検も含めて、再度精査することを求めている


◇7月1日 弁護団は、2020年末に検察官が提出した死体運搬についての意見書の誤りを明らかにする流王意見書(土地家屋調査士による意見書)を 補充所とともに提出した。提出された新証拠は242点に。


◇7月19日 第47回三者協議


◇10月4日 弁護団は、筆跡に関する検察官意見書に対する反論の補充書と新証拠を提出した。提出された新証拠は246点に。 検察官が今年3月に提出した意見書は、弁護団が提出した筆跡についての新証拠全てに対して再審理由とは言えないと主張するもので、 今回提出したのは、この検察官意見書の誤りを明らかにする新証拠と補充書。 (笹倉香奈・甲南大学教授による意見書、福江鑑定人による第3意見書、 第3次再審で石川さんの読み書き能力を鑑定した森実・大阪教育大学名誉教授による補足鑑定書)


◇10月7日 第48回三者協議 協議では、スコップ関連の証拠開示について、検察官は、警察にあったものも含めて高検に。取り寄せてあり、 再度調べたが、弁護団が求めるものは見当たらないと回答した。弁護団は、この回答に納得できないとして何らかの意見を出すこととしている。 弁護団は、今後、万年筆(インク)、殺害方法に関する検察官への反論、自白についての新証拠を提出し、それをふまえて鑑定人尋問を請求することとしている。


◇10月19日 スコップ関連の証拠開示請求について、第48回三者協議での検察官の回答に納得できないとして、10月19日付けで意見書および求釈明書を提出し、 検察官が「不見当」と回答するにあたって、東京高検以外に証拠を探した場所を明らかにすること、2012年に検察官が開示した捜査書類などの証拠についても、 どこに存在した証拠なのか明らかにすること、などを求めた。


◇10月25日 検察官はこれに対し、10月25日付けで意見書を提出し、埼玉県警にも漏れがないか確認しており、 狭山事件についての記録は全て東京高検に保管されているとして、これ以上証拠を探す必要はないと回答した。



◆2022年

◇1月18日 弁護団はスコップ関連の証拠開示請求について、さらに意見書を提出し、これまでも、いったん不見当とする回答をしていたが、 その後に開示された例があることなどを指摘し、スコップ付着物の鑑定をした県警鑑識課の星野技師を検察官が検察庁において聴取した際の報告書などの開示を求めた。
 また、1月18日付けで、有罪の根拠の一つとされたタオルに関する証拠開示勧告申立書を提出した。 狭山事件においては、被害者の死体はタオルで目隠しされており、このタオルは東京の食品会社が関連する会社に贈答品として配ったもので、 配布先の一つに、石川さんがかつて働いていた東鳩製菓があり、野球大会の参加者などに配られたという東鳩の工場関係者の証言を根拠として、 野球チームに入っていた石川さんは本件のタオルを入手可能だったとして、有罪の根拠とされたもの。  しかし、石川さんが東鳩製菓に勤めていたのは、1958年3月から1961年9月までの3年半で、その間におこなわれた野球大会でこのタオルが商品で配られ、 石川さんが野球大会に参加し、タオルを入手したなどという確たる根拠は何もなく、この有罪判決の認定は、きわめて弱いものと言わざるをえない。 また、このタオルの使い方について、自白は不自然に変遷しており、石川さんの自白が体験したことを述べた真実の自白ではないことを示している。 タオルは被害者の遺体についていたもので、警察が事件直後から、同種のタオルの配布先などについて、捜査を進めたことは間違いない。 弁護団は、食品会社が、本件と同種タオルをどこに、どれだけ配布したのかについての記録や捜査資料、 東鳩製菓の贈答品について保管や各工場への配布についての帳簿等の記録など4点の証拠開示を求めた。


◇1月25日 しかし、検察官は、タオルについての証拠開示に応じる必要はないとする意見書を提出。検察官の対応はきわめて不誠実と言わねばならない。


◇1月27日 第49回三者協議



「狭山事件ー最新情報」topページへ戻る

pagetop