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高裁はOさんや筆跡鑑定人の証人尋問を
狭山弁護団 主任弁護人 中山武敏
狭山弁護団報告から
三者協議の中で50数点の証拠が開示されています。2010年5月に36点の証拠が開示されました。特に証拠価値があるのは、5月23日逮捕当日、石川さんが書かされた上申書です。
犯人の脅迫状には漢数字で「二十万円」と正しく書かれていますが、石川さんの上申書ではアラビア数字の「20まいん」、平仮名で「に10まんい」で脅迫状と明らかに違います。
裁判所は5月21日付の上申書と脅迫状の筆跡は客観的証拠の主軸と位置づけてきました。石川さんは上申書で力を入れて「も」を書き、最後は止めています。犯人の脅迫状は草書体で力を抜き、最後は6字ともはね方が違います。そのために検察は鑑定から「も」を除きました。「な」も5月23日の上申書の中にありました。上申書では明らかに力を入れて書いています。1筆目と2筆目がつながっていません。脅迫状は5字とも1筆目と2筆目がつながっています。
第三次段階には脅迫状と上申書だけでなく、石川さんが逮捕されて2年間の文章を全部スキャナーで撮ってコンピューターで分析しました。脅迫状では「な」の1筆目と2筆目がつながっていますが、石川さんにはそうした書き癖はありません。それは統計学的にも百万回に一回も起きません。
こうした新証拠を出し、5月23日の上申書と共に、裁判所の認定が間違いであることが明らかになっています。
7月9日付の石川さんの警察署長宛の受取書も開示されました。捜査本部長が石川さんたちの野球を指導していた巡査を面会させました。この巡査によって石川さんは3人共犯の自白に追い込まれます。彼は石川さんに千五百円を差し入れます。石川さんはその受取書に「一〇〇〇エん」「五〇〇エん」「一五〇〇エん」と書いています。
当時石川さんはカタカナと平仮名を混入する癖があり、「え」は常に「エ」と書いていました。これが5月23日の上申書でも確認されています。これに比べ脅迫状は「江」と「え」を使っています。5月23日の上申書の開示によって、「脅迫状は石川さんが書いたものではない」ことを明確にしています。
そして、脅迫状からは石川さんの指紋も痕跡もありませんでした。…(中略)… 当時「殺害現場」から20m程のところで農作業をし、「犯行時間」とされている時に、桑畑の桑の高さは1mもない中で、「殺害現場」とされている場所を何度も見たというOさん(84歳)の証人尋問を証拠保全という意味も含めて裁判所に求めています。そして、3月22日18時30分から教育会館で集会が開かれ、筆跡とOさん証言を中心とした中央本部作成のDVDを上映し、Oさんの証人尋問を求める大きな運動をしていきます。
万年筆やカバン、時計などの「秘密の暴露」についても前進しています。検察庁には引き続き証拠開示を求め、裁判所にOさんや筆跡鑑定人の証人尋問を迫っていく段階です。布施弁護士の「生きべくんば民衆とともに、死すべくんば民衆のために」という言葉を座右の銘に、石川さんの言葉を励みに、最後まで皆さんと共に闘う決意です。
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