INDEX > 狭山事件

第6回三者協議で新たに証拠が開示

弁護団は新証拠を提出

 (2011年3月24日「狭山事件の再審を求める市民集会」での中山主任弁護士の報告)

 

新証拠の提出

   昨年(3月23日)、三者協議がおこなわれた。弁護団から10人の弁護人が出席し、新証拠を提出した。
 1つはは鳴門教育大学教授の小野瀬雅人さんの筆跡鑑定書。昨年、証拠開示された1963年5月23日付の上申書も踏まえた新しい鑑定書だ。
 同じく、昨年5月13日に開示された中に、石川さんが自白した後に警察官らが作成した捜査報告書があるが、その捜査報告書に、図面が添付されている。これらの図面を旧来の証拠とあわせて検討した結果、有罪判決のいうように、カバンは石川さんの自白に基づいて発見されたものではないということを明らかにした。
 裁判所は取調べメモなどの開示を勧告しているが、検察官は開示していない。自白にいてたる捜査、取調べが問題になっている。そこで中北弁護士が一審当時の弁護士に面会し、再逮捕(1963年6月17日)後、捜査当局が石川さんとの面会を妨害したことを聴取して報告書を作成した。これも新証拠として提出した。これらの新証拠とともに再審請求補充書を提出した。

新たな証拠開示勧告

 あわせて、新たな証拠開示勧告を求めた。
 1つは、開示された取調べ録音テープを分析する中で、供述調書には添付されていない万年筆を置いた場所の図面があることがわかった。これは今まで出されていない。万年筆は石川さんの自白によって発見されたことになっているが、万年筆の疑問を検討するためにこの未開示の図面の開示が必要だ。
 また、ご存知のように、事件当時、捜査当局は被差別部落に的を絞って捜査を進め、アリバイがはっきりしないということで、石川さんを別件逮捕し、犯人にでっちあげていった。これを合理化しているのが証拠のスコップだ。1963年5月11日に、死体発見現場近くの麦畑からスコップが発見され、それが死体を埋めるために使われたもので、石川さんが出入りしていた養豚所のものであるから、養豚所関係者に限られる、として客観的有罪証拠の1つとされた。
 スコップについていた赤土と死体が埋められていた付近の赤土が類似しているという警察の鑑定が証拠とされている。
 弁護団は第三次再審で、新証拠として科学者の意見書を提出した。狭山の狭い範囲の地層では、赤土同士は類似しており、同じかどうかを調べる為には、精密な検査をしなければならないが、警察の土壌鑑定は、そのような赤土の精密な検査はおこなっていない。植物や農業などによって多様性があるのは黒土だが、警察の鑑定は黒土同士の比較ではスコップと死体発見現場付近の土の類似点は示されていない。土は一致していないという科学者の鑑定書を新証拠として昨年出していた。
 スコップが発見さた翌日の新聞にはどれも、スコップの指紋検査をしていると報じられている。指紋についての検査報告書は出されていない。
 教科書や牛乳瓶の指紋検査は出されているのに、スコップについては出されていないことはおかしい。
 元栃木県警鑑識課員の斉藤さんにスコップの現物も閲覧してもらって、柄のところなど指紋検出できるはずだし、当時、指紋検査しているはずだという意見書も出した。スコップの指紋検査の報告書の開示を求めている。これはあるはずだ。出したらまずいと判断して出していないのではないか。
 こうした重要な意味を持っている証拠の開示を求めている。検察官は検討しているということだ。あるかないか、開示するかどうか次回の三者協議で回答することになる。

不見当とされた血痕検査報告書について

   不見当とされた雑木林の血痕検査報告書、雑木林を撮影した8ミリフィルムについて、東京高裁、狭山署、埼玉県警、埼玉地検など全部調べたがなかったというのが検察官の回答だ。弁護団は、雑木林の血痕検査報告書や雑木林を撮影した8ミリフィルムを不見当とすることについて、具体的にどういう調査をしてなかったのかという説明を求めた。
 石川さんが単独犯行の自白をし、雑木林の犯行現場を自白したのは1963年6月23日だが、今出ているのは7月4日付の実況見分調書とその日に県警の鑑識課技師がおこなった芋穴のルミノール反応検査報告書だ。
 6月23日の自白から7月4日までの間に、犯行現場の実況見分はおこなわなかったのか、どういう捜査をして犯行現場を特定していったのか、具体的な回答を求め、検察官も検討することになった。
 犯行現場のルミノール反応検査について、検察官は前回の回答で、そもそもルミノール反応検査をおこなわなかった可能性が高いとし、その根拠として、死体を解剖した医師から、検察官が電話聴取した報告書を出してきた。この医師は石川さんの自白が変転していたので、現場のルミノール反応検査はされていないと言っていたという報告書だ。
 弁護団は、7月4日に芋穴のルミノール反応検査を実際におこなった鑑識課技師にも検察官は聞いているはずだから、その電話聞き取りとか報告書を出すべきだと求めてきた。
 この日の三者協議で、これら検察官が当時の県警鑑識課技師に聞き取りをした報告書などが3通、開示された。
  1つは1985年当時に狭山事件を担当していた検察官が元鑑識課技師に聞いた報告書。その聞き取り報告書では鑑識課技師は「殺害現場とされた雑木林のルミノール反応検査をやった記憶がない。」といっているとなっている。しかし、その横に、後に弁護人にやったといっている、別の2名の検察官の名前が書かれ、その2人にも、やった、陰性だったと応えていると走り書きされている。
 更に、このメモ書にある2人の検察官が作成した聞き取り報告書も開示された。そこでは元鑑識課技師は松林、すなわち雑木林でルミノール反応検査をやったと言っている。
 さらに、第2次再審でも弁護団は犯行現場のルミノール反応検査報告書の開示を求め、1999年に担当していた検察官が元鑑識課技師に聞き取りした報告書も開示された。その中でも元鑑識課技師は、雑木林の松の木数本にルミノール試薬を噴霧したと答えている。  こうした検察官の報告書を出さざるを得なくなった。検察官は雑木林のルミノール反応検査はやらなかった可能性が高いといっているが、当時の鑑識課技師のやったというのが出てきている。今後、大きな手掛かりになるものが開示されたといえる。弁護団はこうした開示証拠の分析を進め、徹底した証拠開示と事実調べを求めていく。

 弁護団は証拠と事実の力で迫っていく。辻恵議員も言っていたが、狭山の闘いは司法反動を打ち破る闘いの一環だと思う。狭山との闘い、部落解放の闘いは、他の冤罪や平和、人権の闘いと結びつけて、大きな運動にしていって欲しい。

部落解放同盟東京都連合会
http://www.asahi-net.or.jp/~mg5s-hsgw/