狭山弁護団は7月10日、元京都府警察本部科学捜査研究所技官の平岡義博・立命館大学教授による鑑定意見書2通などの、1963年5月11日に、死体発見現場から約125mの麦畑で発見されたスコップに関する新証拠を提出した。
当時の警察は、発見されたスコップをI養豚場のものだと断定し、死体を埋めるのに使用されたものであるとして被差別部落に対し見込み捜査を行なった。事件当時、埼玉県警鑑識課の星野技官による、スコップに付着していた土と死体発見現場付近の土が類似するという星野鑑定が作成された。これを根拠に有罪判決は、死体を埋めるために発見スコップが使われたとした。鑑定では、付着の土と比較対照する試料として、死体発見現場の土ではなく、死体発見現場付近の土に類似するものがあったと結論付けている。また、スコップの付着物について県警鑑識課職員による星野・阿部鑑定が作成され、付着物に油脂が含まれているとの結果から星野技官は「豚の餌をかき回すのに使ったものとして差し支えない」と捜査本部に回答しているが、この鑑定では養豚場のスコップ付着物や飼料など他の資料との関連は鑑定されていない。
今回提出された平岡意見書のうちの1通では、「スコップに付着する土が死体発見現場の土かどうか異同識別をおこなう場合、死体発見現場そのものから土を採取しなければ比較にならず、類似しているという異同識別はできない」と指摘し、星野鑑定の結論が誤りであることを明らかにした。
また、もう1通のスコップ付着油類に関する意見書では、「スコップとある特定の場所(養豚場など)との関連を科学的に証明しようとするならば、その特定の場所で使用されているスコップの付着物が鑑定され、比較されなければならない」と指摘し、発見スコップに油脂が付着していたからといってI養豚場のものだとはならず、論理の飛躍、決めつけであることを明らかにした。
平岡意見書によって、スコップが死体を埋めるために使ったものではなく、I養豚場のものでもないことが証明され、当時の警察が被差別部落に対して見込み捜査を行なったことも明らかであり、これまでに提出されてきた新証拠もあわせて、有罪判決の根拠となったものは完全に崩壊している。
鑑定人尋問などの事実調べを求める運動の強化と再審を求める世論を大きくし、狭山再審開始を勝ち取ろう。