狭山東京実行委員会INDEX


狭山東京実行委員会は、狭山事件の再審開始を求めて
東京都内で活動する共同運動団体です       

       

1.狭山東京実行委員会とは?

 狭山東京実行委員会は、狭山事件の再審開始と無罪判決を求めて東京都内で活動する共闘組織です。1994年に結成されました。参加団体は2004年12月現在41団体です。

(1)結成のきっかけと、それまでのたたかい

 1993年から95年までの3年間、毎年2月7日に「狭山事件の再審を求める東京集会」という集会が取り組まれました。開催を呼びかけたのは、部落解放同盟東京都連合会、平和・民主主義東京労働組合会議、東京平和運動センターの3者で、その都度はば広い集会実行委員会を作って取り組まれてきました。この集会実行委員会では、集会だけではなく、毎回ビラまき街頭宣伝行動をおこなったほか、再審を求める団体署名の活動、そして集会決議と団体署名を提出する東京高等裁判所への要請行動なども取り組んできました。こうした活動の中で、集会参加者も毎回増加し、署名も2,000を超える数を集めることができるようになりました。
 集会実行委員会への参加も、最初の年の19団体から、2年目には29団体、そして3年目となった95年は39団体に増え、その構成も部落解放同盟、労働組合などだけではなく、多くの宗教団体、民主団体にまで広がってきました。またこの実行委員会への参加をきっかけに、「同和問題」に取り組む宗教教団東京地区連帯会議(東京同宗連)も結成されました。
 95年2月7日の「狭山事件の再審を求める東京集会」(95.2・7狭山東京集会)の総括会議の中で、こうした3年間の活動の積み上げをあらためて確認しました。また、石川さんが仮出獄して棄却策動も一定後退させることができたこと、しかし一方で新証拠の「事実調べ」がおこなわれておらず、依然裁判の情況は緊張を要することなどもあわせて確認しました。そして、こうした新しい段階に入ったたたかいに対応して、東京でも恒常的な取り組みを作っていくことが了承されました。こうして集会実行委員会を解散せずに、狭山東京実行委員会として発展継承することになったのです。

(2)結成から今日まで

 こうして狭山東京実行委員会は、労働組合・民主団体・宗教団体・都連など30団体でスタートしましたが、毎年2・7東京集会を主催することなどの具体的な活動の結果、加盟組織の数も徐々に増えてきました。こうして現在の43団体が参加する組織に発展したのです。
 狭山東京実行委員会として取り組んできたことは、毎年2月7日近辺にひらいてきた東京集会のほか、「事実調べを求める新100万人署名」などがあります。
 新100万人署名は、当初部落解放中央共闘会議から東京に割り当てのあった20,000人をはるかにこえる46,000人分を集めることに成功しました。また、毎年2・7東京集会に向けて取り組んできた「再審開始を求める団体署名」「全証拠開示を求める団体署名」も、7年間でのべ10,000団体をこえる数となっています。

2.狭山東京実行委員会の目的と組織

 狭山東京実行委員会の目的は、「部落差別に基づくえん罪・狭山事件の再審と無罪判決を求め」東京都内でさまざまな社会的アピールをすることにあります。これまでこの目的にそって署名活動(個人署名4万人、団体署名1万団体)や街頭での宣伝活動、2月の東京集会や裁判所・検察庁への要請行動などを取り組んできました。
 実行委員会に参加している団体は、いずれも都内で活動する労働組合、宗教団体(東京同宗連に参加している宗教教団)、民主運動体(障害者解放運動や部落解放運動、平和センター)、地域運動体(部落解放地区共闘)、政党(社民党)などです。東京以外の各地の様々な同種の組織と違って、労働組合だけではなく宗教団体も含んだ幅広い構成になっているのが大きな特徴です。

3.狭山東京実行委員会の役員(2005年度)

  議   長 遠藤 幹夫(東京平和センター議長、自治労東京委員長)
  副 議 長 江口 貫正(東京同宗連議長、真宗大谷派東京教区)
        福田 耕作(解放同盟都連委員長)
        花輪不二夫(社民党都連総務局長)
  事 務 局 長 森本 一雄(東京平和センター事務局長)
  事務局次長 飯塚 康浩(解放同盟都連政治共闘部長)


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