塩見鮮一郎著「新・部落差別はなくなったか」(2011年2月発行)において、被差別部落の地名や地図、写真が運動団体や地元住民に何ら相談や協議もなく、配慮されることなく掲載されていた問題について、私たちは、このような被差別部落の顕し方は差別を助長すると提起し、塩見さんと話し合いを続けていました。その話し合いの結果として、「どうなくす?部落差別」(2012年10月発行)の出版であり、また「地名総鑑について」(2013年12月)と題する塩見さん本人の見解でした。私たちは、「地名総鑑について」という見解について、質問状を添えて、再度の話し合いを申し出ていましたが、それから約11か月を過ぎても、塩見さんからの連絡はなく、現在もこの2冊の本は市販されているという現状において、私たちの見解を公表することとしました。
これまでの経緯
①2011年2月、塩見さん著「新・部落差別はなくなったか?」が緑風出版から発行されました。そこには、東村山、練馬、小田原などの被差別部落のルポが、地図や写真入りで、運動団体や地元住民に何ら相談や協議もなく掲載されていました。
②2011年12月14日、部落解放同盟中央本部は、関係する東京都連、神奈川県連とともに、「被差別部落のルポ掲載の意図」など都連、神奈川県連、練馬支部から出された疑問点の確認のため、塩見さんとの話し合いをおこないました。この話し合いにおいて、塩見さんは掲載意図などについては明快な回答はされなかったですが、問題点を認め、運動団体との協働で差別撤廃に役立つ新しい本を出版することを約束し、その内容について次回話し合いを持つことになりました。
③2012年4月18日、第2回話し合いが開催され、塩見さんは緑風出版社と参加し、執筆構想を提示しました。その構想は、第1部福島差別について、第2部は当事者(解放同盟)が各部落について執筆するという「共同執筆」構想でした。解放同盟側からは塩見さんの責任で執筆すべきだと主張し、塩見さんも了解しました。その上でまずは「小田原」について執筆することになりました。
④2012年5月26日、塩見さんは約束通り神奈川県連の協力のもと「小田原」を視察し地元支部との意見交換会もおこないました。
⑤2012年10月、「どうなくす?部落差別」が緑風出版から発行されました。私たちは当然のように、これまでの話し合いと小田原視察を踏まえたものと思っていましたが、その内容は「これまでの経緯を踏まえていない」どころか、「『地名総鑑』という本はなんら悪いものではない。それを利用した企業が悪い・・・」という「部落地名総鑑」を正当化する記述があるほど、悪質なものでした。
⑥2013年5月27日、この出版を踏まえ私たちは、この本がこれまでの話し合いを踏まえて出版されたものなのか、否かなどの確認のため再度塩見さんと話し合いをもちました。その内容は、(1)塩見さんは、前回の約束を果たす能力は自分にはないと思った。出版社から本の出版を急かされ今回の本になった。(2)「地名総鑑」にかかわっては、そもそも地名総鑑事件についてよく分かっていないもとで書いていることが判明した。(3)前回の話し合いで反省、約束した内容について、また今回の「地名総鑑」についての考え方、さらに塩見さんが問題提起する「(地名)を隠すのか、顕すのか」について、「見解」をまとめるよう要請し、塩見さんは了解しました。
⑦2013年12月27日、話し合いを踏まえた「見解」として「地名総鑑について」が提出されました。その内容は、2点について書かれていましたが、本筋と思える部分を下記に引用します。
「部落が悪いのではないのです。部落を見て差別している人の方が問題なのです。差別は部落民と非部落民の関係性のうちで形成されていたのです。部落をつつみこむ市民社会の意識の変革が重要になります。右の文章で、「部落」の言葉のところに「地名総鑑」と置いていただければおわかりいただけると思います。本を差別に利用する者の意識が問題なのです。犯罪的なのです。「部落のリスト」を記した本が「悪」にされたのは、問題の転倒なのではないかと考えました。あたかも部落は秘密にされなければならないなにかであるようなイメージが生まれて気はしないか。そんなことになれば、差別に差別を重ねることになります。」
このような主張であり、基本的に第1回目の話し合い以前の考え方に戻っていると認識せざるを得ません。
「地名総鑑について」(以下「見解」)に 対する批判点
1.「見解」は当初の反省内容が踏まえられていない。
「新・部落差別はなくなったか?」に掲載された被差別部落のルポについて、2011年12月に塩見さんと話し合いを持ちました。話し合いで私たちは、当該被差別部落との協議や配慮なく、このような顕し方で、被差別部落を公表することは差別を助長するのではないかと提起しました。この提起に対して、塩見さんは反省の意を示し、解放運動との協働で新たな本を出版することになりました。この合意にもとづき「小田原」視察がおこなわれました。
ところが出された本は、部落地名総鑑を擁護、正当化した「どうなくす?部落差別」でした。「地名総鑑について」という塩見さんの「見解」でも同じ主張が繰り返されています。このように部落の地名は公表すべきという塩見さんの主張は、最初の話し合いにもとづく塩見さんの反省を踏まえたものとは到底思えません。
2011年12月の話し合いにおいて、塩見さんは何を納得し反省したのか、疑問を持たざるを得ません。
2.基本的に、部落のことを部落の現実から捉えられていない。(部落地名総鑑に対する塩見さんの認識に対する批判)
塩見さんは「見解」の中で、「『地名総鑑』は悪くない、悪いのはそれを悪用するもの」と『地名総鑑』という本を正当化しています。
まず、1975年に発覚した部落地名総鑑事件では、「作成者」も、「購入者」も部落差別が目的であったことが明らかになっています。そして部落地名総鑑という本は差別目的以外になんら正当な使い道はない差別図書であることも明らかになった事件でした。それでも塩見さんは「地名総鑑は悪くない」というのでしょうか。
また、塩見さんは一般的に「部落の地名をリスト化し公表すること」は問題ない、「問題はそのリストを悪用するものがいること」という認識をお持ちのようですが、では何の目的で部落の地名をリスト化し公表する必要があるのでしょうか。何か正当な理由があるのでしょうか。私たちには、「リスト化し公表すること」は、差別という不当な目的以外に、何ら正当な理由や目的を見出すことはできません。「地名総鑑のように部落の地名をリスト化し公表すること」と「その公表されたリストを差別に悪用すること」は、武器と戦争の関係と同じであり、「武器は悪くない。それを戦争に悪用するものが悪い」とはいえないことと同じではないでしょうか。
更に、塩見さんは「見解」で、①「部落が悪いのではない。部落を見て差別する人が問題」という論理と②「地名総鑑(本)は悪くない。その本を差別に利用するものが悪い」という論理を「同一視」して、自らの「地名総鑑」の擁護を正当化しています。しかし、私たちは、塩見さんの認識こそ問題であると思います。前者の①の論理は、部落差別の原因を部落の側に求める考え方を批判することに関わる議論であり、塩見さんはこの「部落の側」と「地名総鑑(部落のリスト)」を同一視し「地名総鑑」という本は差別ではないとしています。どうしてこれが同一視されるのか疑問です。塩見さんは、「部落」=「部落のリスト」と捉えているのではないでしょうか。「部落」とは、そもそも紙の上にリスト化されておらず、現実の大地の上に存在し、そこでは部落問題を抱えながら生きている人間が存在しています。塩見さんは、この現実を見ることなく、部落を「地名」あるいは「地図上」(「あるいは過去の歴史」)でしか捉えられていないのではないかと思われます。部落を部落の現実の中から捉え切れていないのではないでしょうか。
3.「隠すのか」「顕すのか」は、差別の現実に立脚して判断されるべき。
最後に、「『地名総鑑』(部落のリスト)は悪くない」という主張をする塩見さんの基本的な考え方は、「部落の地名は隠すべきではなく公表(顕す)すべきだ」に集約されると思います。その考え方が差別を助長するルポ(「新・部落差別はなくなったか?」)に結び付き、「地名総鑑」の正当化(「どうなくす?部落差別」)につながっています。部落の地名を公表すべきか、否か、塩見さんの問題提起の言い方を借りれば「隠すのか、顕すのか」は、部落差別をなくすための正しい捉え方ではないと思います。このような二項対立は不毛です。誰が「隠し」、誰が「顕す」のか、その「主語」を明確にしなければならないと思います。「地名総鑑」は差別者が「顕した」ものです。また、「フィールドワーク」の受け入れや社会的立場を自覚した「カミングアウト」は当事者の「顕し方」です。(但し不特定多数に対するカミングアウトではない。) 逆に、「人権侵害救済法」や「差別禁止法」など法制度も整っていない中で、差別への防御から被差別当事者が「隠す」場合もあります。更に、被差別当事者以外の「寝た子を起こすな論者」のように「そっとしておけばいい」と同和行政や同和教育を否定する考え方は「隠す」の部類に入るでしょう。
部落問題を語るときには部落差別の現実が前提となります。「隠す」か「顕す」かは、この前提を認識したうえで判断されるべきことです。差別の現実があるから「隠す(防衛)」場合や「配慮すべき場合」があり、差別があるから差別との闘いがあり、差別をなくすために「顕す」場合もあるのです。塩見さんのように、差別の現実を見ず、その差別に対する葛藤を見ず、そして差別をなくそうとする運動過程を見ず、「外」から傍観的に部落を捉え、単純に「公表すべき」と出版物で(公で)主張することは、差別者に差別の扉を開けるようなもので、差別に加担していると言わざるを得ません。
戸籍謄本不正取得事件や土地差別調査事件が全国的に多発している今日の社会の現実は、差別身元調査を依頼する、そしてそれを商売にするといった「部落地名総鑑」の構造が今も健在であることを示しています。差別者は「部落のリスト」を欲しがっているのです。この現実を前に、差別の被害者にむかって、部落のリストは公表すべきでしょう、と本気でいえますか?差別の現実、被害者の現実、部落がかかえている現実をしっかり見ずして、部落問題は決して語れないと思います。
本「見解」は、昨年3月4日に塩見さんに提出した「質問状」をベースにしています。「見解」として公表したとはいえ、引き続きの協議を呼びかけたいと思います。
尚、塩見さんに提出した「質問状」の質問内容を抜粋しておきます。
塩見さんへの質問状(抜粋)
1「新・部落差別はなくなったか?」に掲載された被差別部落のルポについての話し合いにおける塩見さんの「反省」について疑問を持たざるを得ません。再度「新・部落差別はなくなったか?」における被差別部落のルポの掲載について、塩見さんの見解を文書でまとめていただけますようお願い申し上げます。
2塩見さんは「部落地名総鑑」という本を擁護、正当化していますが、私たちは、「地名総鑑」は差別図書であり、また、部落をリスト化し公表する正当な理由はないと考えています。再度塩見さんの「部落地名総鑑」についての考え方を文書で明らかにしていただけますようお願い申し上げます。
3「隠すか、顕すか」という問題提起及び「部落の地名は公表すべきである」という塩見さんの主張が、被差別部落のルポの無配慮な掲載や「部落地名総鑑」の正当化に結びついています。私たちはこのような二項対立的な問題の設定や差別の現実を見ず当事者性を欠いた「地名の公表」は差別及び差別の助長と考えています。改めて、塩見さんの考えを文書でまとめていただけますようお願い申し上げます。