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「新・部落差別はなくなったか」をめぐって
著者 塩見鮮一郎さんと話し合い
「新・部落差別はなくなったか?」(2011年2月 緑風出版 塩見鮮一郎著)において、東村山・練馬(東京)、小田原(神奈川)、小諸(長野)、養老(岐阜)、三条・崇仁(京都)の被差別部落のレポートが地図や写真入りで掲載されていることが分かった。
この著作全体のテーマは副題「隠すのか顕すのか」にも表れており、著者塩見氏は「Q22 結論・隠すのか顕すのか?」(158頁)において自説を集約している。要約すると、《隠すか、顕すか、単純化は許されない》としながらも、《ネット社会においてこの問題にけりをつけるべく、所在地を公表すべきである。そうすると部落差別はなくなっていないので、必ず差別をこうむる人がでてくる。その場合はあらゆる手段を行使して差別者を糾弾する。行政も啓発する。教育者も同和教育をおこなう。》このように主張したあと、資料として、当該の支部や住民の知らぬところで、都内では練馬と東村山の被差別部落を地図と写真をつけて紹介しているのである。
都連では、中央本部を通じて、神奈川県連とも連携し、著者塩見氏との話し合いを昨年12月14日、練馬区内にておこなった。中央本部から和田中執が、都連からは、三役と当該の練馬支部、国立支部が参加した。
参加者からは、@まず神奈川から被差別部落でないところを被差別部落としているという事実の間違いがあること。A土地調査差別事件やインターネットでの部落の暴露や差別扇動がなされている現状の中で、このような「顕し方」をすることは差別撤廃にとってどのような意味があるのか、地区住民の不安や困惑についてどのように思うか。B私たちも「隠す」ことで差別が撤廃するとは思っていない。地区のフィールドワークの受け入れなどはその現れである。塩見氏が差別をなくす目的でこの本を出版したのなら、当該地区の住民や支部、運動との協働こそが重要ではないか、と疑問点や考えを投げかけた。
塩見氏は、本分の主張と部落のレポートとの関係、つまり当該の知らぬところでなぜ地図や写真入りのレポートを掲載したのかという疑問については明快な答えは持っていなかったが、私たちの考えを受け入れ、今春より作業を開始し、解放運動や当該支部との協働で新たに差別撤廃に役立つことを基本にした「本」を出版する意向を示した。
もうすぐ春だが、この取り組みが差別撤廃に向けた「顕し方」になるよう今後の取り組みを本格化していかなければならない。
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